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Heaven's Cafe

キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

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09/27のツイートまとめ

tenjounoao_yume

近代化産業遺産と風の教会を巡るハイキング 『六甲山名建築探訪ツアー』 神戸市灘区 https://t.co/WVn0Gv6HNz
09-27 16:47

赤神諒「大友の聖将(ヘラクレス)」

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赤神諒「大友の聖将(ヘラクレス)」、愉しみながら読了。
本書は大友宗麟に仕えた家臣を描く赤神作品の第二弾で、今回の主人公は柴田礼能(リイノ)。あまり詳しいことが知られていないこのキリシタンを取り上げて、長編小説にしていただいただけで、私としては恩の字。しかもキリシタンの信仰について、ちゃんと調べよく理解して書いてくれています。

キリシタンを主人公にした小説は多々ありますが、読んでみると「まじか?」と思うくらい誤解が満載だったりします。キリシタン時代の司祭を「牧師」と書いていることもザラで(この頃はカトリックしかいないので司祭、もしくは神父しかいません)、キリシタンになった動機として「人の上に人を作らずという教えに惹かれた」とか書いてあって、「それは福沢諭吉・・・」とツッコむ気力さえ奪われることも。

それでも「キリシタンを主人公にしてくれてありがとう」と思って読んでいますが、ストレスなくキリシタン物を読める機会は少ないのです。その点、赤神さんエライ。上智大学で学んだのでしょうか。大友宗麟の信仰の軌跡としては、耳川の大敗から秀吉への援軍要請、臼杵城籠城の過程でもう一段階深化したのではないかと私も考えているのですが、その過程をこの小説では物語として自然に描いています。全くの史実とは言えないとしても、宗麟の信仰の軌跡は存外このようだったのではないかと思いました。

主人公たちの女性との関わりも出てくるのですが、「エンターテインメント小説だから恋愛の要素も出てくるんだろう」と思っていましたが、さにあらず。主人公たちの犯す不義が「罪」として認識され、それがまたキリスト教的内容に結びつくのです。最初はそんな構造になっていることを知らずに読み進んでいたのですが、気付ていてからは「深いな」と思いました。私見ですが、本作品は前作よりも「深い」です。

ネタバレになるので詳しくは書けませんが、「赦され、与えられた生」がテーマのような気がします。「赦され、与えられた生」と言うなら、それは私もですからね。そんな生をどう生き抜くのかを、リイノを通して考えさせられました。さて、クライマックスの章は泣きっぱなしです。涙もろい人は涙腺崩壊にご注意を。でもたまにはそんな小説を読むのもまた愉し、ですよね(#^^#)


09/24のツイートまとめ

tenjounoao_yume

中秋の名月、ぼんやりと見ることが出来ました。お団子買ってくれば良かった〜(^o^) https://t.co/zmIpNwl3jV
09-24 18:50

天正遣欧少年使節と大村 https://t.co/GgP0lb0jYd
09-24 05:07

櫻井義秀「人口減少時代の宗教文化論」

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櫻井義秀著「人口減少時代の宗教文化論」読みました。北大教授の櫻井氏が「月刊住職」(旧誌名「寺門興隆」)に連載した文章を一冊にまとめたもので、感じとしては「読み物」。時事問題と宗教に関する話題が主な内容になっています。

中盤には、スピリチュアルなものが流行り、それにまつわる問題も増えているということが書かれていました。私は最近は宗教や信仰などというまどろっこしいものよりも、手軽にご利益を得られる神社参拝や、コレクター心をくすぐられる御朱印集めの方が流行っているんじゃないかなと思います。

さて時世と人の心を反映して、その時々に流行るものがあり、それが社会学の研究対象になりますが、問題は行き過ぎた耽溺(依存や中毒)。スピリチュアルなものに惹かれるのは社会現象ですが、占い師に全財産を渡してしまうことは社会問題です。つまり流行り廃りは研究対象だけれど、実害が著しい場合は社会問題として捉える必要が出てくる訳です。

櫻井氏は宗教社会学者の観点から、宗教が社会インフラの役割を果たしうることを認めています。しかし、自分が「カルト」だとレッテルを貼った団体に対しては、救いがあることはおろか、いかなる社会活動をも許さない考えのようです。「カルト」には、当然それだけ実害があると考えているのでしょう。

だけれど実害の判定には、それ相応の慎重さが求められます。また事実認定も同様に慎重に行うべきことです。自分の目に「確かであろう」と映ることでも、真実でないことはあり得ます。一体真実であるとは何をもって決めることができるのでしょう。証言の信憑性でしょうか?証言者の様子や態度から?裁判でも物証がない場合は、裁判官の自由心証によって判定されます。そこに曖昧さが入る余地はないと言い切れるのでしょうか。

自分を振り返れば、私も人間なので、事の大小に関わらず自分に見えた通り、自分が感じた通りに判断しているのだと思います。私が本当だと思っていることでも、真実とは違うことがあるのでしょう。だから人のことを云々できませんが、随時顧みることができれば、独断の陥穽にはまることを少しは回避できるかと。人の振り見て・・・我が振りを直せたらと思いました。


09/23のツイートまとめ

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木曜から台湾へ行こうと飛行機などを予約。予約した先から不安に襲われております(^o^;)人間ってそんなものですよね。Wi-Fiとか手配しなきゃ。たぶんドタバタしているうちに出発するんだろうと思います☆ https://t.co/Mu7azP0So0
09-23 22:33

09/17のツイートまとめ

tenjounoao_yume

西小門などが選ばれているんですね。#韓国 #殉教地 https://t.co/QVmWskyhkE
09-17 21:16

今日はゴスペル落語を聞きに町田クリスチャンセンターへ。皆さん熱演で素晴らしかったです(^o^) https://t.co/6Ke0CBcYib
09-17 17:27

09/12のツイートまとめ

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教皇、来年の訪日実現への期待を述べる - バチカン・ニュース https://t.co/sZNdqG6Ibe
09-12 20:45

行けないけれど、盛況を祈ってリツイートします☆ https://t.co/cv8WgGwKiQ
09-12 09:27

櫻井義秀・中西尋子「統一教会~日本宣教の戦略と韓日祝福」

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櫻井義秀・中西尋子統一教会~日本宣教の戦略と韓日祝福」読みました。こういう本を読む日がくるとは思ってなかったのですが、図書館で見かけて、何度も前を通り過ぎるうちに気になって。読んでみて一番に感じたのは、「ここに行かなくて良かったー」ということ。

私のように素直で(自分で言う?w)従順なタイプは、人の善意を疑わずに信じてついて行っちゃいますね。しかも真面目なので職務をきっちり全うしようとすることでしょう。ここで要求されることは献金と労働奉仕でしょうか。一生分だから結構な分量になります。

私は統一教会のやり方や運営方法が、日本と韓国とで全然違っているということを知りませんでした。一言で言うなら、「韓国に優しく、日本に厳しい」制度のようです。その理由は日本が韓国を占領した罪のせいで、それを贖うために日本は侍らなければならないのだとか。そんな理屈が・・・通っているんですね。

また韓国では嫁不足が深刻で、日本人の嫁を得るために、姑が統一教会に通うことまであると聞いてびっくり。姑が通い、息子もちょっと通い、日本人が嫁いで行くと、二人は信仰がなく、目的を達したから教会からも足が遠のくとか。そんなふうに嫁いでいった日本人女性が7千人もいると聞き、唖然とするしか。

とても分厚い本書(600ページ超。「誰が読むんだろ?」と思ったけど、自分が読んでる。。)では、統一教会の教理も詳細に解説しているのですが、最初「ふむふむ」と読んでいると、途中で「ん?」という箇所が増えてきて、結論に至ってはギュンと曲がって極端な話になるので、「それは違うんじゃない?」と声を上げたくなります。

「似て非なるもの」という言い方がありますが、「非なる」ところがあまりに大きければ、それは似ていないと判断していいのかと思います。聖書の言葉を用いているけれど、途中でギュンと曲がる感じ、この感じが「非なる」ところだと感じました。

私は十分の一献金と席上献金しかしてないし(自慢にならないが)、労働奉仕も教会のお掃除当番ちょこちょこやってるだけで、気楽な生活をしているので、信仰の恵みをいただいていることを感謝しなければなと思いました(=゚ω゚)ノ


100分で名著「パスカル」

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NHK番組「100分で名著」のパスカル」を読んで、「レベル設定ってとても大事!」と思いました。最近食らいつくようになった哲学分野の本ですが、文字だけ追っていて文章の意味が頭の中に入ってこないことがしばしば。その点この本は分かりやすくて、自分の水準に合ってると読みやすいなと思いました。(それでいいのかは、さておき

パスカルの言葉に、いろんな立場の人が出合って、どう感じるか、どう考えが変わるかをストーリー仕立てで書かれていて、まず入りやすいですね、本の中に。考えるテーマも、幸福とは?など、取っ付きやすいものばかり。例えば幸福に関して言うと、パスカルはこう書いています。「わたしたちがどんな状態にいても、自然はわたしたちを不幸にするものである。わたしたちの願望が、もっと幸福な状態というものをわたしたちの心に描き出してみせるからだ。その願望は、わたしたちがいまいる状態に、わたしたちがいない状態の快楽を結びつける」

つまり人は求めていたものが充足されると、それが到達目標ではなくなるので、しばらくすると「これは幸福ではない」と判断され、到達目標が更に遠ざかるというということです。なるほどです。だけどこのことを知ると、自分が今いる状態で得ているものを見直して、もう一度価値を認識することが大切だと分かります。

だけどこんなことも書かれています。「わたしたちは、自分の中に、すなわち自分自身の存在の中に持っている生活では満足できない。わたしたちは、他人の頭の中で、イマジネールな生活をしたいと思っているのだ。そのために、見てくれに気をくばる。わたしたちのイマジネールな存在を他人の頭の中でより美しくし、そのままに保ちたくいと考えて、いつも一生懸命に働き、本当の生活というものをなおざりにしてしまうのである」と。

これは自己愛のためであり、その自己愛を満たすために、他者の脳の中での自分のイメージを良くしたいと考える訳ですね。他人の尊敬でもって自己愛を満たそうとするのです。そのために人は自分への賛嘆者を求めるのだとか。これは最近よく言われる「自己認知欲動」「承認欲求」ですが、パスカルは17世紀に既にそのことを見破っていたということです。

そんな欲求に動かされる人間は、「好奇心」という名目で虚栄心を満たそうとするのだとか(反論があったら、私ではなくパスカルに言ってくださいね!)。「好奇心とは、じつは虚栄心にほかならない。たいていの場合、人が何かを知りたいと思うのは、あとでそのことを誰かに話したいと感じているからなのだ」と言っています。

これでいくと、私がキリシタン史跡地や殉教地に行くのも、後で誰かに話すためで、それをもって自分のイメージを良くしようとしていて、全てが自己愛から出ていることになります。否定できるほど確固とした意見は言えないけれど、そうだとすると、それを今明かしていることは恥ずかしいことですね(;´∀`)

このようなことを踏まえての、私の結論は・・・
結論⇒哲学は役に立つ。納得もする。でもちょっと刺さる!です。
でもパスカルはキリスト教をとても証しようとしています。そこを書けよという感じですが、続きはいつかまたもっと勉強してからw

09/10のツイートまとめ

tenjounoao_yume

三浦綾子文学館と相田みつを美術館が特別交流展 相田みつを美術館「三浦綾子展」は9月8日から https://t.co/cWXiunDopb
09-10 14:51

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由愛(ゆめ)

Author:由愛(ゆめ)
キリシタンのあしあとを求めて旅するサイト『天上の青』の管理人をしています☆

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