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Heaven's Cafe

キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

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11/05のツイートまとめ

tenjounoao_yume

台湾の行く末、気になります。 https://t.co/kwukaoLlUI
11-05 12:43

鶴崎で妙林尼に会い、大分に戻って南蛮BVNGO交流館を

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10/7はまず鶴崎へ。妙林尼に会いたくて。石像を見て鶴崎城跡に行きましたが、あまりに平城でびっくり。イメージと違いました@@

鶴崎は肥後藩の飛び地だったので、同じ大分でも他とはちょっと違う歩みをしています。それも訪れてみたかった理由の一つ。

現在は落ち着いた住宅地が広がっていますが、昔はもっと活気があったようですね。坂本龍馬と勝海舟、伊能忠敬も宿泊していたということで碑や解説板がありました。

緑茶専門店を見つけて抹茶ぷりん。それで力が出て、古刹・史跡をてくてくし、毛利空桑記念館で解説を聞いていたら、絵踏みが行われていた場所がわかったので、そこに寄って駅に戻りました。

大分駅に戻るとお昼。「へんろみち」で、前々からチェックしていた「ひやひや」をいただきました。大将とお話もでき、何だかやり遂げた感がありましたw

あとは南蛮BVNGO交流館だけ行こうと思っていたのですが、デウス堂跡にも寄ろうと遠回り。7年ほど前に来た時は食事処の駐車場に碑が建てられていたのですが、マンションに変わっていました。

ほんの数年で様変わりするものですね。大分の勢いからすると、今後もキリシタン関係の史跡はますます整備され、いい意味で変わっていくんだろうと予想されます。

南蛮BVNGO交流館で映像3本観て、南蛮衣装着せてもらってきました。かわいいかわいいとおだてられながら(^_^;)

でも楽しかったです。写真撮ってくれる人も所々にいて。ラグビーのおかげでボランティアさんが多くいて、この時期に旅行して助かりました。

受付の人にキリシタンに興味があることを告げると、「それなら若宮八幡宮の花クルスですね」と言われ、それならばと再びてくてく。

これかー!というものを見つけました。どこにあって、何に使われていた物なのかはわからないそうですが、府内で、それもデウス堂の近くで発見されたなら、キリシタン関係と考えていいように思います。

夕飯は友人と待ち合わせて水天のお寿司。回ってないお寿司は久しぶりです。いい物食べたからか、今日は疲れがいつもの半分の気がします!(単純…笑。


推しメンを追って、宗麟公まつり・大友氏顕彰フォーラムのイベントに

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10/6は宗麟公まつりの一環として行われていた大友氏顕彰フォーラムのイベントに。作家さんたちによるトークショーだけかと思いきや、大分市長ら来賓の挨拶や演舞、楽器演奏、ミュージカル的なショーまでありました。

歴史が、観光はもとより政治や地元経済、文化芸術にまで影響しているのが感じられ、安易に歴史ファンをしていられないなと思ったり。学究的な世界とはまた違う歴史の分野ですね。

地元で顕彰活動する人たちには、その地域や郷土出身の人物が固有で特別な(簡単に言うと、めっちゃすごい)存在だということを証明したい気持ちがあり、その思惑にうまく合致し寄与してくれる人や団体を呼ぶわけですね。来場者もその一端を担うことになりますし。

それをわかった上でウィンウィンとかいう関係を築けるのが大人で、仕事ができる人なんだろうと、何でも正直に話し過ぎるタイプの私は尊敬の眼差しで見て、聴いておりました。

トークショーでは「戦国史におけるキリスト教の影響がほとんど無視されている」という話が出て、頷きつつも、だからと言ってキリスト教の影響を多大に捉え過ぎても困るしなと思いました。

とりあえずは赤神諒さんのトークを聴けてハッピーでした。終わってからファンに囲まれてたので、競争率高かったんですが、「へんろみち」の大将(大分のキリシタン専門家)が背中を押してくれて写真を撮ってもらいました☆

大将とのツーショットも。メッセンジャーでやり取りしてただけなのに、前からの知り合いのような気がして、同好の士(知識量も経験も私がはるかに後輩だけど)とは心強いものだと感じました。

トークショーが終わって帰ってしまう人が多かったのですが、その後の「アトラクション」として舞台を彩った「マリオネット」によるポルトガルギターとマンドリンの演奏はお金を払ってこれだけ聴きに来たくなるほど。

観月ゆうじの「歌謡ショー」(アトラクションとか歌謡ショーとか、ネーミングはこれでいいのか?)も楽しめましたし♪終わってから外で握手の列ができてましたね。関東の街角で「宗麟物語」のポスターを見ていたので、おおっ!と思いました。

盛りだくさんのイベントでした。宗麟公まつりはもっとだったのでしょうね。今年はラグビーワールドカップが重なって、大分はとてもアツイです。

外国人がこんなに訪れたのは宗麟の時以来だろうというのは大袈裟でしょうが、大分駅に降り立った外国人の目に、ザビエルと十字架を着けた宗麟が入ってくるのは、日本のイメージを変えるかもしれないと思いました()


岐阜城などをめぐった旅行記「燃えさかる岐阜 vol.3」

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岐阜城などをめぐった旅行記「燃えさかる岐阜 vol.3」ができました。
岐阜城と言えばフロイスフロイス&信長、そしてキリシタンとなった織田秀信です。秀信は、清須会議で登場した信長の孫 三法師と言った方がわかりやすいかもしれませんが^^
最近金華山の麓に築かれていた信長居館跡が発掘調査されていて、その報告もアツいです。車だったので八百津の杉原千畝記念館などにも足を延ばしています。お時間ありましたら~(ˊᗜˋ*)♡
http://content.tenjounoao.com/gihu3.html
スマホ版は⇒http://content.tenjounoao.com/sp1/gihu3.html


11/03のツイートまとめ

tenjounoao_yume

行きたいけど、今の体力じゃ無理かなぁ。。 https://t.co/CPAgj16Vgh
11-03 11:45

術後は痛みはなかったのだけど、このところお腹の奥に引きつったような痛みが。卵巣は残ってるから排卵痛かなぁ。もうしばらく療養して様子見よっと。
11-03 08:12

くまもと文学・歴史館「祈りの島 天草とその海」服部英雄先生の講演を聞きたくて

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10/5はくまもと文学・歴史館へ。服部英雄先生の講演が聴きたくて。

天草・﨑津集落が世界遺産登録されて一年となることを記念して行われた今講演では、世界遺産登録までの経緯を詳しく知ることができました。

日本が世界遺産の条約を締結していなかった時代に、服部先生が文化庁で上司に直訴したこと(その後日本は1992年に世界で125番目に条約締結)から、「長崎の教会群」からの変更、固有の価値を示し認められるまでの道のりは、その第一線でずっと携わってきた方からでなければ語れないものがあると思いました。

どんなストーリーを描いたから、どこが世界遺産から漏れたということも、そこには関わってきます。教会へ復帰した人たちとそうしなかった人たちにはどんな違いがあったのかということも大きな論点です。

以下は講演の内容ではなく私が思ったことですが、潜伏キリシタン関連遺跡が世界遺産になる過程で日本キリスト教史の意味が精査され、一定のストーリーを共有できるようになり、更に世界遺産になったことで、様々にあった用語等も整理され、まとまっていく方向付けがなされたように思います。

つまり一年前の世界遺産登録によって、日本キリスト教史が1つのステージを迎えたと評価できるのではないでしょうか。その土台の上に各種の展開が成されていけばいいなと思います。

講演が終わってから、遠方から来たということで、服部先生が時間を取ってくださって、足りない私の質問に答え、話してくださいました。バスの時間まで庭を案内し、バス停まで見送っていただき、もう感謝に堪えません。

この場を借りて、ありがとうございました!また宜しくお願いいたします☆


柳川の真勝寺で田中吉政の墓を見学

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人生は地図のない道を行くようなものだ――、と言った人がいましたっけ。今日はそんな思いが何度もよぎりました。

朝7:50の便に乗ろうと有川港へ行くと、なんと欠航。今日は晴れて凪ですが、昨日荒れて長崎から船が来られなかったため、欠航なんだとか。そんなことあるの〜!?(泣)

次の便は午後だし、どうしようと焦っていると、後ろから「こんにちは」と明るい声が。振り向くと昨日頭ヶ島で話した文化財課の人がいて、出勤前に私を見かけたから声をかけたとのこと。

私が困っていることを話すと、8:00の便がある鯛ノ浦港まで送ってくれました。ありがたやです。だけど有川が欠航なので、船に乗りたい人たちは皆鯛ノ浦に来ていて長蛇の列。

出港時刻は迫ってくるし、またもやどうしようと気をもんでいると、前に並んでいたマダムがくるりと振り向き、「あなた、予約してないの?今からでもした方がいいよ。私なら電話する」と。

列に並びながら電話で予約したところ、とてもスムーズに事が進み、無事乗ることができました。

佐世保に行くつもりが、長崎に着くことになったので、博多まで高速バスで行くというルート変更はあったものの、結局当初予定していた時刻に柳川に到着。こんなことがあるんだ…というくらいうまく進み、まるで誰かの掌に乗って運んでもらったよう。

柳川では真勝寺へ。地下にある田中吉政公のお墓を見せていただきたいと、予めご住職にお願いしていたのですが、お墓にまつわるお話も詳しくしてくださって勉強になりました。

柳河藩主となった田中吉政キリシタンに好意的だったのと、その墓が独特なので田中吉政キリシタン説が唱えられているのですが、それをお寺としてはどう考えてらっしゃるのかなと気になっていました。

私自身も自分の目で見てみたいという気持ちもあり。結論から言うと、キリシタン説を裏付けるものはないから、それ以上は何とも言えないということでした。

そういう説の存在やその根拠を、研究者やカトリック関係者から聞くので熟知した上で、です。ご住職がとても知的で落ち着いた方なので、ほっとしました。

吉政をキリシタンだとし、この寺が実はキリスト教の教会だというトンデモ説を唱えている郷土史家までいて、、、お寺や仏教徒に失礼じゃないかなと思うこともあります。

吉政キリシタン説を唱える人が最大の根拠として挙げるのがこの墓碑で、上部が四角錐になっているので上から見ると✕(アンドレアクルス)となるということです。

確かにそう見ようと思えば見えるのですが、私がついでに近所の他の墓地も見て回ったら(何してるんだろ、まったく)、同じ形の墓碑が何基もありました。そんなに珍しい形ではないですね。

田中吉政の場合は、この墓碑は一種の目印で、本堂全体がお墓という考え方をするので、そこが独特なんですけれど。でもそれ故にキリシタンだとは言えないと思います。

さて、真勝寺にはもう一つキリスト教関係のものが。今日FBの書込みで教えていただいたのですが、山門の所に海老名弾正の先祖代々の墓があるのです。

そういえば元々柳川藩士の家系ですよね。先々代住職(現住職のお祖父様)が海老名弾正からもらった手紙が残っているそうです。

真勝寺を後にして、良清寺へ。立花誾千代さんのご位牌を拝見して(墓所は非公開)、ここでもご住職にお話をうかがいました。

次は柳川城址だと思って歩いていく途中、良さそうなうどん屋さんがあったのでランチ(ティータイムだけど)。でもここがもう三の丸跡でした。

柳川城の中心部分は現在の柳川中学・高校。二校の間に石垣が少し残されています。学校の門扉には吉弘家の家紋、杏葉紋!

堀と柳を愛でながら田中吉政像、海老名弾正記念碑を見て、御花へ。建物美しかったです。和モダンの西洋館も純和風の庭も。印象に残ったのは金色の兜が並んでいた様(さま)かなぁ。

最後に寄ったのは立花家の菩提寺。コスモスが揺れていました。柳川を歩き始めて最初に見かけたのが、船に乗っていく婚礼カップルで、ずっとその余韻が残りました。きれいな町ですね。

言い忘れてましたが、柳川にはキリシタン時代、レジデンスや教会がありました。田中吉政に教会用地をもらって。だからこの町を宣教師や信徒が闊歩していたんですよね。

吉政が柳川に来て9年で亡くなってしまったから、それからは様子が変わり、教会とかは今ではどこにあったかわからないんですけど。でもこの堀割は吉政が作ったものだから、いいものを残してくれたと思います♪

今日は観光は午後スタートだったけれど、ほんとによく歩きました。御花は駅からバスで20分かかるのですが、それも含めて全行程徒歩でしたから。だけど平坦だったから可能だったのでしょうね。長崎ならこの距離歩くのはきっと無理。

さてさて一日を終えて思うのは、人生は地図のない道を行くようなものだけど、見えない助けはいつも与えられているみたいだということ。

それをよーく信じられると、もう少し焦らずに済むんでしょうけどね。明日はどうなるんだろう。見えない御手に委ねます()


上五島で頭ヶ島教会など世界遺産登録された教会堂めぐり

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10/3は頭ヶ島教会へ。世界遺産登録された頭ヶ島集落の文化的景観の構成要素の一つです。

保全の目的から、ここに行くには予約してパーク&ライド(廃港となった上五島空港に車を停めてシャトルバスに乗り換える)をしなければならないのですが、路線バスで行けば予約も乗り換えもなしで、そのまま教会まで行けると宿で教えてもらい。

ただしバスは一日に2本で、帰りの便まで3時間あるんですけどね。その時間教会堂周辺で楽しく過ごせる人(私みたいなw)向けです。行くと巡礼センターのボランティアガイドさんが丁寧に解説をしてくれます。

このお話がとてもためになるので、ボイスレコーダーで録音しました。今回このレコーダーが大活躍。持ってきて良かったです。

世界遺産になったとはいえ、上五島の、それも頭ヶ島まで足を伸ばす人は多くないようで、ゆったり見学できるのがうれしいです。今週は台風の影響で特に人が少ないみたいですね。

午後は観光タクシーで教会めぐりに。鯛ノ浦と頭ヶ島には行ってあったので、3時間ほどでもたくさん回ることができました。自然が豊かなので、教会と共に景色も楽しめます♪

大曽教会を皮切りに、冷水、丸尾、青砂ヶ浦、江袋、仲知の教会堂を見学して、これらの建築に携わった鉄川与助の生家と墓所、彼が作った寺の門(鉄川は仏教徒)、小学校校舎(建て替えられているけど)なども見ました。

北部に行くほど険しい山の中腹にへばりつくように建てられている教会が多く、教会を作るのももちろんですが、通うのも大変なことだなと思いました。それだけの信仰が根付いているんですね。

上五島には29個のキリスト教の教会があり、全てカトリックなのだそう。島民の4分の1がクリスチャンで、前田万葉枢機卿は仲知教会のご出身。潜伏期のキリシタンは外海から移住してきた人たちです。

今回私は長崎の浦上から外海、平戸、生月、上五島と回ってきたんですけど、これらの地域は互いに密接につながっていることに気付きました。潜伏期を忍び、復活し、最後の困難を乗り越えて発展し、今ようやく歴史的・文化的価値が認められているところですね。

いろんな所に行かせてもらい、学ばせてもらっているので、帰ったらまとめてアウトプットもしていかなきゃなと思います。ささやかなご恩返しのためにも^^

明日は朝こちらを発ち、柳川に行こうと思っています。出発前に予定していた船便が、私の勘違いで、今は運行していないことがわかり焦ってまして、どうなるんだろうなぁ。。綱渡りの日々が続きますが、まずは感謝でおやすみなさい(^。^)


赤神諒最新作「計策師 甲駿相三国同盟異聞」、入院中に読みました。

赤神諒最新作「計策師 甲駿相三国同盟異聞」、入院中に読みました。体が自由に動かせないときに、痛快な展開の小説を読めるのは一つの救い。夜「次どうなるの?」というところで敢えて本を閉じて、次の朝を自分に楽しみにさせるという裏技を覚えました。
さて題名にもなっている「計策師」は、著者の造語。戦国時代に様々な策を用いて調略・交渉・説得などをした者たちを、人口に膾炙した言葉では「軍師」と呼んだりしますが、それとほぼ同じ概念です。「軍師」も戦国よりも後の時代に使われたイメージの職業名だから、必ずしも「軍師」を使う必要はなく、実際の仕事内容を端的に表していて適当かと思います。
主人公は計策師の向山又七郎。この名前が後北条氏の分限帳に出てきたのをもって、この人物が立役者となって甲駿相三国同盟を結ぶ小説を書いてしまうのは、著者の跳躍力(史実の欠片から想像の翼を広げ、驚くほど高く跳び、かつ納得いく着地をする)の面目躍如。
========以下ネタバレ(?)と私の勝手な解釈を含みます。
登場人物から見ていくと、まず主人公の亡くした妻子「ゆき」「さち」は共に、「幸」の読みなので、この2人の名に込められたイメージは「幸せ」なのでしょう。それが遺品である櫛を通して「薫」に受け継がれ、「幸せ」の必須条件たる「平和」を作り出そうとする主人公のモチベーションにつながります(と言い切っていいのかw)
ここに3人が描かれるのは、甲駿相三国同盟のひな型と考えることもできそうです。
櫛に仮託された「幸せ」と「平和」への願いを叶えるべく、又七郎は奮闘するのですが、そこで使うのは知恵と言葉。人の心を動かすことです。そこで繰り広げられるストーリーは「ありそう」よりも「そうだったらいいな」というものですが、小説としての面白さを訴求したものと感じました。
小説のラストに関しては賛否両論あるところでしょうけど、人はいつか必ず死ぬものであり、私は悪い幕切れとは思いませんでした。末期の酒を「意外に美味いと思った。」というのは、美味い酒のような粋な味わいある人生だったということを意味し、それは主人公の選んだ生き様に対する「肯定」です。
またその直前に「もやし」と例えられる人物が出てくることも注目のポイント。何かを形容しようとしたらいくらでも具体的な特徴を付加することができるだろうに、長身の「もやし」という漠とした実体がないかのような像として、文中には出てきます。
これは過去からの亡霊、ずっとついてくる罪悪感、己の人生につきまとう影法師を意味するものではないでしょうか。彼の「喉に何かが引っかかったような声」は、自分の中でずっと気に掛かっていたことを意味するように思えます。
主人公が最後に嗅ぐ稲の香り(「薫」をかけている)は、平和の訪れです。だから酒が美味かったのでしょうね。
ただ、このシーンが終章になっていることには、ちょっと考えさせられました。著者のような手練れの作家なら、安曇野に春が訪れ、そこに千春(このネーミングも永く続く平和を意味しているように思います。そういう人間を、無償の愛で生み出したわけですね)が幼子と手をつないで現れる(そしてその匂いを嗅ぐ)シーンくらいは十分描けたでしょうし、きれいにまとまって読者ウケがいいことくらい予想できたでしょうから。
これは妄想気味の私の解釈で言うなら、「人生はこのようにあっけなく絶たれるものだ」という一種の諦観に通じているのかと。前触れなく、時に残酷なくらいあっけなく、将来への希望を一瞬で断ち切ってしまう死の、厳然たる姿を表しているように思いました。
==========
そういう意味では、エンターテインメント小説であるだけでなく文学なんですが、私は著者が「不本意の文学」と名付けた悲劇性に惹かれてファンになったので、そういった重厚なものも読みたいという気持ちも抱いています。
目は文面を追っているのに、頭の中のモニターには、抗うことができない大波が押し寄せてくるのが映っているような、人と運命とを思わせる作品です。人気作家とそれとは両立しにくいのかもしれませんけど、期待することはしてもいいですよね。
来年の雑誌連載も期待しつつ~(*ˊᵕˋ*)

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10/31のツイートまとめ

tenjounoao_yume

テレビで盛んに「世界遺産・首里城が・・・」と言っていますが、地下の遺構が世界遺産ですかね。建物は世界遺産ではないし、文化財指定も受けていないかと。もちろんそれだからと言って、焼失の悲しみが消えるというのではないのだけど。#首里城
10-31 19:46

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由愛(ゆめ)

Author:由愛(ゆめ)
キリシタンのあしあとを求めて旅するサイト『天上の青』の管理人をしています☆

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