FC2ブログ

Heaven's Cafe

キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

Entries

ゴーン逃亡劇に際して出てきた、キリスト教マロン派とレバノンについて

19ky928008.jpg

テレビをつけたまま洗濯物を干していたら、「キリスト教マロン派」という言葉が聞こえてきて、思わず振り返りました。

カルロス・ゴーンもキャロル夫人も、レバノン大統領までもがマロン派のキリスト教徒で、逃亡を助けたとされるマイケル・テイラーもレバノンのキリスト教と関係があるのだとか。その人脈が今回使われたのではないかという話でした。

マロン派は、東方諸教会の一つ。お昼のワイドショーで「キリスト教マロン派」のフリップが出される日が来るとは・・・。逃亡劇については一旦措くとして、世界を見ていくのに東方キリスト教会の知識も必要であろうということで、少々書かせていただきますね☆

=========
《キリスト教マロン派

マロン派は、ローマ教皇・カトリックに帰属するものの、組織ならびに典礼などは独自の伝統を継承する教派。レバノンを中心とした中東地域のほか、欧米の国々にも教会があります。

信徒数は、2015年版『教皇庁年鑑』によると、レバノンに151万人、シリアに6万人、北米に17万人、中南米に137万人、オーストラリアに15万人、フランスに5万人(すべて概数)などとなっています。

マロン派の起源には諸説ありますが、紀元5世紀頃にアンティオキアで活動した宣教師マールーンに由来するというのが有力。7世紀末に異端としてビザンツ皇帝によって迫害され、レバノン北部の山脈に移住しました。12世紀になると、十字軍を通してローマ・カトリックおよびフランスと結びつき、1182年カトリック教会と合同しました。

しかし典礼にはシリア語とアラビア語が用いられ、総主教を自派で選出するなど(19世紀末までは司祭も妻帯できた)、カトリック教会との一体性を表明しつつつも、一線を画した伝統を保持しています。また原則として離婚、複婚、異教徒との結婚は禁止。ゴーン夫妻の場合はどうなのだろうと疑問が残ります。

名称としては、16世紀から18世紀初期までの祈祷書では単に「マロン派の教会」と記され、年代が進むとそこに「シリア人の」という語が加わりました。その後1980年代頃までは「マロン派アンティオキア教会」という名称が用いられ、現在ではカトリック教会の一部であることを明確にする「マロン・カトリック教会」という名称が使われることが多くなっています。

このような名称の変遷は、マロン派がより確実にカトリック教会の一部となっていくなかで、東方典礼教会としてのアイデンティティを確立してきた過程を反映しているといえようかと思います。

19世紀末および第一次世界大戦中に起きたキリスト教徒虐殺では、マロン派の信徒も多く犠牲になりました。大虐殺から100年後の2015年に当時の司教が殉教者として列福されました。近年ではシリアでISが拡大し、司祭が誘拐されるなどの事件が起こっています。

レバノンについて》

さてレバノンは、元々シリアの一部でしたが、1920年にフランスが現在のレバノンに相当する地域を委任統治したことから、国となるきっかけを得ました。フランスはマロン派を中心としたキリスト教徒を積極的に支援して、フランス統治下の1926年、レバノン共和国が誕生。

1941年、フランス本土がドイツに侵攻されていくなかで、シリアとレバノンが相次いで独立を宣言し、これをイギリスが承認したことで、戦後、正式に両国が独立を果たしました。

マロン派は政治的優位性を保ち、1943年の「国民協約」で、マロン派から大統領、イスラム教スンニ派から首相、イスラム教シーア派から国民議会議長が選出されることが決まりました。

しかしこれらのポストは、日本のように議会制民主主義に基づいた役割分担があるわけではなく、大統領、首相、国民議会議長それぞれが大きな国家権力を持っているという点が特徴です。当然そこには熾烈な権力闘争が伴います。

レバノンは、中東では珍しいキリスト教徒が中心の国家となりましたが、1948年にイスラエルが建国した際に、イスラム教徒であるパレスチナ難民がレバノンに大量に流入すると、宗教的なバランスが崩れ、1958年、両者の衝突による暴動が起こりました。

1975年から90年までのレバノン内戦では、パレスチナ解放機構(PLO)やドゥルーズ派(イスラム教徒)と、マロン派キリスト教徒が激しく争い、お互いに誘拐・拷問・処刑という残虐行為を繰り返しました。

1982年、イスラエル軍がレバノンに侵攻し、マロン派民兵のファランジストが対抗。この際ファランジストに軍事訓練を施したのが、ゴーン逃亡劇のテイラーではないかと思われます(私の想像なので間違ってたら教えてください)。

ファランジストはパレスチナ難民キャンプを襲撃、多数の非戦闘員を殺害し、国際的な非難を浴びました。 内戦終結後、憲法が改正され、大統領の権限は大幅に縮小されました。今もマロン派はレバノン国会に最大議席を維持していますが、海外進出でマロン派人口は減少傾向。そのため政治的影響力も相対的に低下しています。

現在のレバノン公認宗派の人口比は以下のとおり。
イスラム教 スンニ派24%
シーア派35%
ドゥルーズ派5%
アラウィ派1%
キリスト教 マロン派21%
ギリシャ正教7%
ギリシャ・カトリック4%
アルメニア正教3%

参考にした資料と「世界史の窓」マロン派のページです。
三代川寛子編『東方キリスト教諸教会――研究案内と基礎データ』
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-024_1_1.html


01/09のツイートまとめ

tenjounoao_yume

テレビをつけて家事をしていたら、「キリスト教マロン派」という言葉が聞こえてきてびっくり。マロン派は東方諸教会の一つ。ゴーン夫妻もレバノン大統領もマロン派だとか。お昼のワイドナショーで「キリスト教マロン派」のフリップが出される日が来るとは。。東方キリスト教会の知識も大事だなと。
01-09 18:44

01/08のツイートまとめ

tenjounoao_yume

「そうなんだ!?そんな新発見が」と思って聞いてしまっていました。ほんと怖い。。。HG先生の起用はテレビ界の方々に何とかしていただきたいです;; https://t.co/1hgfstYSMR
01-08 09:28

見に行ってみたいかも。#陸軍軍医学校 #戸山学校 https://t.co/8VmvGqJXiD
01-08 09:26

小西瑞恵「日比屋モニカと細川ガラシャ」と「埋もれた十字架--天正遣欧使節と黄金の十字架」

20181221_120025_467.jpg

雑誌『大阪春秋』(2018年新年号)の特集で、「細川ガラシャ : ヨーロッパで賞賛された「強き女」」を書いていた小西瑞恵氏が気になってCiNiiで論文検索してみたら、キリシタンに関するもの2編が読めるようになっていました。大阪樟蔭女子大学、素晴らしいっ。

「16世紀の都市におけるキリシタン女性--日比屋モニカと細川ガラシャ」(2008年)と「埋もれた十字架--天正遣欧使節と黄金の十字架」(2007年)です。

細川ガラシャも興味深いですが、あまり注目されることがない日比屋モニカに焦点を当てているのが貴重。資料を元に丹念に史実を追ってらっしゃいます。また原城跡で発見された黄金の十字架がローマ教皇から贈られた聖遺物入れであるという小西氏の主張も、「なるほど、あり得るな」と思いました。

ただし「埋もれた十字架」の方に述べられている、山梨県の栖雲寺蔵「伝虚空蔵菩薩画像」が景敎の聖像であるという説は、現在は否定されているものです。この説を唱えた美術史家の泉武夫氏の論文(佐伯好郎の著作を根拠にしている)を、小西氏がそのまま受け入れていて、それが問題の発端になっているようです。

泉氏の論旨は、小西氏が引用した文章からうかがい知るだけですが、景教や東方キリスト教について基本的な間違い(唐代に栄えた景教が迫害で一旦衰えるもその後も細々と存続した等)が多々見られます。

小西氏もこの画像の調査に泉氏夫妻と訪れていますが、キリシタン遺物だとも言われていたので、私も数年前に見に行き、拝観させてもらいました。

確かに十字紋様が描かれていますが、これは研究チームによってマニ教由来のものであると結論付けられ、2013年に「十字架捧持マニ像」の名で山梨県指定文化財となりました。

栖雲寺側も「詳しく調査した結果、キリスト教とは関係ないことがわかった」と説明しておられます。

景教については専門書が少ないために、100年以上も前の佐伯好郎の著作が参照されることが多く、泉氏もそうしています。佐伯氏はこの分野の研究に先鞭をつけたため景教博士と呼ばれたりもしますが、佐伯氏の後に発掘調査や資料研究でわかってきたこともあります。研究は進んでいるのに、佐伯氏の著作ばかりを参照することには無理があります。

泉氏がこの画像をキリシタン大名であった有馬晴信黄金の遺品であるとしたことから、小西氏は、この画像と原城跡から発見された黄金の十字架とを一緒に論考しています。しかし、当時のキリシタンたちは「景教」のことなど知りませんでした。

小西氏は、マカオにいた宣教師や貿易商人が関与してこの画像が有馬晴信の手に入ったのではないかと推測していますが、その頃は中国においても景教の存在は忘れ去られていました(土中から「大秦景教流行中国碑」が見つかるのは有馬晴信の死後)。

せっかくの小西氏の論文が、景教とキリシタンが入り混じることで複雑になり、信憑性の低いものになってしまったことを残念に思います。小さなことでは、島原天草一揆(論文では「島原の乱」と書かれている)で死ぬことを「殉教」としていることや、泉氏によって(景教のものであると)「実証された」と繰り返していること、「天守閣」等の用語にも引っ掛かりを覚えました。

論文が書かれた2007年当時と今とでは、格段にキリシタンに関する研究が進んだことも、私の引っ掛かり(違和感)や疑問の背景にあるかもしれないですね。現代の恩恵を享けている身としては、ただ感謝するばかりなのですが、違和感や疑問が徐々に解消されていったらいいなと思います。


01/06のツイートまとめ

tenjounoao_yume

はじめてのおつかい、観ると必ず泣いてしまう。会津のがもう神回でしょ(T_T) #はじめてのおつかい
01-06 21:46

@@! https://t.co/DARp3ViK8p
01-06 15:10

「イランの重要な文化要所も破壊する」というトランプ大統領の脅しツイートを受けて#IranianCulturalSites  https://t.co/cfgiQp0DFp #図鑑NEOメーカー
01-06 13:05

石川美咲さんも☆彡 https://t.co/Eq7hGPLggO
01-06 12:30

バチカンが米国とイランの仲介に入るかもしれないというカトリック系メディアによる記事。私の関心の範囲で抄訳

19ky928004.jpg

バチカンが米国とイランの仲介に入るかもしれないというカトリック系メディアによる記事。私の関心の範囲で抄訳すると↓

バチカンとイランの外交関係は1954年に始まっており、アメリカと正式な関係が結ばれる30年も前から関係を築いてきた。バチカンにとっても、シリアの少数派キリスト教徒の保護にイランが鍵となると考えているため、イランとその指導者を重要視している。またトランプ政権に影響力を持つアメリカのカトリック指導者も数多い。

バチカンがスイスや他の外交プレーヤーが簡単にまねできない方法でテヘランに関与できる最終的で根本的な手段がある。それは一言で表現するなら「神」。

教皇フランシスコは、トランプとイランの最高指導者アリ・ハメネイの両方に個人的に書くことができる。さらに大胆に予想するなら、教皇フランシスコが、対話と平和的解決を促進するために、イランとアメリカの代表を他地域の人々とともに召集するという選択肢もあり得るのではないか。

https://cruxnow.com/…/forget-the-swiss-how-about-the-vatic…/

=========

カトリック系メディアでこのように述べられていることをみると、もう水面下で動き始めているのかもしれませんね。どんな方法、どこからの提案であろうと、平和的解決の機会が訪れることを願ってやみません。

個人的には、「シリアの少数派キリスト教徒の保護」という箇所にも注目しています。記事中ではどこの教派か明らかにされていませんが、「シリアの少数派キリスト教徒」には、過去に「ネストリウス派」と誤って呼ばれていたアッシリア東方教会も含まれている可能性があります。


01/03のツイートまとめ

tenjounoao_yume

お買い物もできて、ゆっくりできます。 https://t.co/esIMJNNFuM
01-03 09:43

国道1号線沿いの道の駅「富士」からの眺めもとっても良いです。昨年12月にリニューアルしたみたいですね。おふくろ食堂は10時開店。桜えび入りの華そば美味しい♪ #道の駅富士 https://t.co/KLPslJkzML
01-03 09:43

神の道。広津和郎。 https://t.co/Opp4INh1zB
01-03 09:34

https://t.co/l608OajSts
01-03 09:34

三保の松原からの富士山。青い海と空、まばゆい光。 https://t.co/JW5UopLHVr
01-03 09:30

天女が羽衣かけたというのが理解できる枝ぶり。樹齢がどのくらいなのか知らないけれど、長い年月強風で曲げられていった様がうかがえます。苦労してもしぶとく生き残るのがいいなと。#天女の羽衣 https://t.co/HoWcZeLm1c
01-03 09:26

三保の松原から見る富士山の清々しさよ。世界遺産富士山の構成要素25個の中で25番目の眺め。この眺めを尊く思った先人の気持ちは分かります。#富士山 #三保の松原 #世界遺産
01-03 09:26

12/30のツイートまとめ

tenjounoao_yume

来年の手帳は歴史手帳に決定。帯取るとかなり地味で、ウキウキ感がないのは耐え忍ぶことに。何年か前に買ったときより、文字が大きくなってますね。高齢化対策なのかなぁ。知らんけど。 https://t.co/Fdv0xx3iZ4
12-30 15:29

市川裕氏による講座「祈りの聖地・エルサレムの魅力」

20191220_181551768.jpg

オリエント博物館のナイト講座「祈りの聖地・エルサレムの魅力」を聴いてきました。講師は、ヘブライ大学に留学し律法研究に取り組み、『ユダヤ教の歴史』(山川出版社)などの著作がある市川裕(ひろし)氏。この春東京大学を退官して、現在は名誉教授です。

長年の研究とフィールドワークで膨大な知識と見識を持つ講師に、1時間という時間制限はあまりに短く、聴く側としても物足りなさは必至でしたが、「勉強のし始め」と割り切って集中して学んでまいりました。

まずエルサレムの地形と、昔と今のエルサレム市街地の違いを確認。二度にわたるユダヤ戦争とローマ支配、イスラム進出と十字軍、オスマン帝国による聖地支配が近代まで続いたことをおさらいしました。

続けて、それを踏まえてエルサレムの魅力を大きく三つ挙げていました。
・三つの一神教が聖地を持つ都市であること
・ユダヤ人の一神教信仰の中心地だった
・主要文明(古代オリエント、ペルシア、ギリシャ、ローマ、イスラム、近代西欧)の影響を重層的に受けたこと、です。

私にとっては、聖書の記述と重なるのが魅力なのですが、その点に関しても中東や各地に残っているモザイク画やレリーフを通して、イエス・キリストが活躍していた頃のエルサレム予想図を示しながら説明してくれました。

特にエルサレム巡礼と言えば、ヴィア・ドロローサや聖墳墓教会などですが、19世紀までヴィア・ドロローサに教会はなく、昔の城壁外がキリスト教時代になってど真ん中になった、つまり城壁の位置のズレていることを知って認識が変わりました。

またローマ以降、イスラム支配が続いたので、ヨーロッパ人にとってエルサレムはなかなか行けない場所になっていたのですが、クリミア戦争でフランスがオスマン帝国に味方した見返りとして、1861年にフランス海軍が聖地訪問を許されて行き、聖墳墓は荒れ果てて、フランスの極貧の村の教会よりもひどい状態だという報告がヨーロッパに衝撃を与えました。

イスラムは経典の民に寛容さを示し、キリスト教会の存続を認めていましたが、聖墳墓教会の扉の鍵はムスリムが持っており(なんと今も!)、各教派間の争いが絶えず、ひどく荒廃していたのです。それが改善していくのは19世紀後半から20世紀にかけての西欧列強の進出によって。

聖地に教会を持たなかったプロテスタント諸教会が、領事館や病院、学校などを建設しながら進出していき、目まぐるしく変わる国際情勢の中で、その主役が英独仏露米・・・と交代しながら現在に至っています。

詳しくやればキリのないエルサレムの歴史ですが、現在の問題として上がっているのは、西欧諸国は聖地の国際管理を希望しているけれど、ユダヤ人はシオニズム国家の建設を願い、パレスチナ人が以前にも増して自分たちのアイデンティティを意識するようになりアラブ人自治区がその象徴となっていること。

数千年もの間聖地として、支配権をめぐる争いがあり続けたエルサレムが、今後一つの宗教や民族に帰されることはないのでしょう。

永遠な都における世俗的な問題(教会堂などの保守管理から市街地の整備、国際的地位の安定)が平和的に解決され、そのおこぼれに私も預かれたらなと思いました。たぶんそれが世界の希(ねが)い――。


12/28のツイートまとめ

tenjounoao_yume

新年特別号紙面:キリシタンの信仰に救い求めた細川ガラシャ 屋敷内の秘密の部屋で洗礼 『日本史』では謀反に至る光秀の思い追及 https://t.co/XyYnvxrhMW
12-28 14:46

なんか勢いがすごい。超越したものを感じる。(そしてちょっと行きたいww https://t.co/2KLYEaBCOO
12-28 13:21

左サイドMenu

プロフィール

由愛(ゆめ)

Author:由愛(ゆめ)
キリシタンのあしあとを求めて旅するサイト『天上の青』の管理人をしています☆

twitter

最新記事

ブログカウンター

最新トラックバック