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西アジア考古学会「考古学が語る古代オリエント」と、思い出したくもない牧師の欺瞞

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昨日と今日は、興味があるテーマを中心に、西アジア考古学会の発掘調査報告会「考古学が語る古代オリエント」をZoomウェビナーで視聴。作業しながらあまり関心のない地域の発表も聴いていましたが、一生行けないであろう遺跡やそこから出土した遺物の写真は見ているだけでも楽しく。

日本からは例年、20を超える調査隊が西アジア各地に出向き、様々な遺跡発掘して、データを集め、解析してきました。しかし去年は、コロナ禍で発掘はおろか海外渡航も制限されて、発掘チームの人たちには苦渋のシーズンに。現地スタッフの協力を得て、リモートで発掘した報告もありましたが、多くの発表者が、これまで得たデータを分析、研究する時間としていました。今回はその発表の場となったわけですが、調査中断の時が実りの時ともなったのではないかと思われました。

個人的に興味深く拝聴したのは、「肥沃な三日月地帯東部の新石器化」常木晃、「アッシリア帝国東部辺境を掘る」西山伸一、「ウズベキスタン旧石器遺跡調査による北ユーラシアの旧人・新人交替劇」西秋良宏、「シルクロード天山北路の形成と展開」山藤正敏(敬称略)。

中東から東アジアにかけては、旧人(ネアンデルタール人など)と新人(現生人類)の交雑があり、共存していたことが分かってきており、食糧となる麦・米の伝播も従来考えられていたルートが修正されつつあります。私が考えるより遥かにダイナミックな交流がユーラシア大陸を舞台に行われていたのを感じました。

――――――――――――――

こういった地道な発掘調査によって、確かな物証を裏づけに明らかにされたことを学ぶにつけ、秦氏景教徒説(あるいは原始キリスト教徒説)の浅さを痛感します。この説は、秦氏が中央アジアの弓月国から来たとし、その国がキリスト教国だったとする仮定に基づいて唱えられています。

しかし未だ「弓月国」なんて国は確認されていませんし、存在を記した史料も遺構も発見されていません。当然ながら、「キリスト教国」である証拠は皆無。すべて想像です。それなのに、「~だと言われている」などといった修辞を用いて、この説を採る牧師が拡散しています。

一年前に行われた学会(西アジア学会ではない)では、そういった牧師の一人がキルギスの発掘調査の発表後、挙手して「そこでキリスト教徒の十字架墓碑は見つかってないんですか?」と質問して、「時代がまったく違います」と一蹴されていました。

時代や背景を等閑視して、十字架状のものばかり見つけようとするので、視野狭窄に陥るんですよね。十字架状のものが出たと聞けば、今度は時代や背景を超越したストーリーを創出してしまう・・・。これはキリシタン遺物をどんどん「発見」してしまう人たちにも共通していることですけど。

休憩時間には、運営側の許可も得ずに、会場前方で自分のとった景教碑の拓本を広げて説明を開始。何をしているのかと関係者が集まってきたのを、「皆さん、関心を持っている」と解釈してらっしゃいました。

知り合った女性にキリスト教徒墓碑の拓本(複製)を、本物と思わせてプレゼントしていたのにも驚きました。本物をもらったと思った女性が恐縮して、何度もお辞儀してお礼を言っているのを見て、事実を告げようか迷いましたが、しゃしゃり出るのもどうかと思い断念。だけど相手にあれだけ頭下げられたら、ふつう良心に引っ掛かって正直に言いますよ。

その人が「キリスト教の牧師」として認識されているのが、何とも気になりました。(自分の所属していない)学会でのパフォーマンスやごまかしに関しては、今も苦い気持ちがよみがえります。

とりあえず、一部で蔓延する秦氏景教徒説(唱え始めた人が、当初「景教徒」だと言ったが、時代が合わないと指摘されて、後で「原始キリスト教徒」だったと主張を変えた)に対しては、手心加えず反証していこうと思います。

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