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森安孝夫「トルコ民族とキリスト教」

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2日間にわたり開催されたシルクロード学研究会のラストを飾ったのは森安孝夫(大阪大学名誉教授)「トルコ民族とキリスト教」。シリア語・アラビア語文献に現れる、キリスト教に集団改宗したトルコ族は具体的に何族だったのかを論考するもので、レベルは(私みたいな者には)最高難易度。午前中からの4つの発表を真面目に聴いてなかったらチンプンカンプンになるところでした(いや、なったかな...)。

論題は大きく3つで、
(1)テモテ1世のいう「トルコ人」はカルルク?
(2)『塔の書』に書かれた「トルコ族」はケレイトorオングート?
(3)森安氏近著で考察されたウイグル語書簡について

(1)は、東方シリア教会(アッシリア東方教会、東シリア教会とも)のカトリコス(総大主教)テモテ1世(ティモテ、ティモテオス、ティモシーとも)の『書簡』にある「トルコ人たちの王」が改宗し、その地の大司教が任命されたという話の「トルコ人」は何族かという問題です。

年代は、従来の有力な見解をまとめれば、このトルコ族が大挙してキリスト教へと改宗したのは781~783年で、大司教任命はその約10年後の792~793年とされています。
このトルコ族の候補としては、オグズ・カルルク・バスミル・ハラジュ・キーマーク・ペチェネーグ・キプチャク・キルギスが挙げられ、学界ではオグズ説やカルルク説が提起されてきました。

森安氏はそれら先行研究と論拠を解説し、欧米学界ではカルルク説が優勢であり、日本人研究者もそれに理解を示しているが、自分はいずれとも決しかねていると述べていました。
しかし、もしテモテ1世が伝えるトルコ族がカルルクだったとしたら、8世紀末からサーマン朝に敗れる893年までの約100年間キリスト教国ということになります。これが事実ならば、キリスト教界からとても注目を集めそうです。

(2)の『塔の書』は、11世紀に主要部が書かれ、14世紀まで書き足されていったアラビア語キリスト教文献です。この書と、13世紀後半にバル=ヘブラエウスによって書かれた『シリア編年史』には、1007/1008年にある東方トルコ族の20万人が、その君長の身に起きた奇跡によってキリスト教に改宗したことが記されています。

またバル=ヘブラエウスの『教会編年史』ではさらに具体的にそのトルコ族をケレイトと名付けた上で、その奇跡とその後の対応について記述しています。これをバル=ヘブラエウスの言う通りケレイトだと考えれば問題はなさそうですが、実はケレイトはトルコ族ではなくモンゴル族であることから他の民族であるとする説が唱えられています。

トルコ族のオングートがそれではないかと。森安氏はこの点について論証するため各国の文書を調べ、当時の国際情勢を勘案して、結論としてケレイトであろうとしていました。
11世紀にはモンゴルはまだ小さな部族集団のみの名称であって、モンゴル帝国時代以後のように、ケレイトやタタルなどを含む総称ではありませんでした。

西アジアでは中央ユーラシア東部の遊牧民族をトルコ系かモンゴル系か区別することは第三者にとって困難であり、トルコ系かモンゴル系かの差も曖昧だったからです。この件は、ケレイトということで問題解決したと言えそうでした。

さて(3)は、森安氏がつい最近(2019年12月)出版した本から抜粋した最新の論考。その本は全部英語で、出版されたのも海外なので、日本語訳付きで、しかもご本人の解説で聴けるなんて僥倖以外の何ものでもありません(山梨来て良かったな♪)。

取り上げたのは、トゥルファン盆地のブライク(葡萄溝)遺跡から出土し、現在はベルリンに保管されているウイグル語の手紙。ざっと読んで内容を確認し、書式や用紙などを分析した結果を解説。

手紙全体の主旨は、キリスト教の僧侶が西ウイグル王国の支配者層に対して、キリスト教の聖餐式を行うのに必要な道具一式を贈ったので、それを国家のために使っていただきたいというものです。

森安氏の功績(多々あるけれどそのうちの一つ)は、西ウイグル王国の国教が10世紀後半から11世紀前半を過渡期としてマニ教から仏教に交替し、12世紀以降はマニ教徒の姿は完全に消え去ってしまうことを論証したことなのですが、キリスト教徒はというと、そんな中でも少数ながら存在していたことがわかっています。

この手紙を読むと、西ウイグル王国においてキリスト教もそれなりに保護を受け、マニ教や仏教と併存していたことがうかがえます。

ではこれはいつのことだろうという点が問題になりますが、森安氏は前に述べたケレイト改宗伝説中に「二人の宣教師に祭壇用の器具一式を携帯させて派遣し」たという記事があり、それと結びつけて考えるようになってきていると言っていました。

そうであるならばこの手紙は、宮廷内に初めてキリスト教会を設置するときの歴史的な手紙ということになり、年代は10世紀のものだとということになります。

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伏線があって納得できる答えに導かれる感じが、どの研究者の論考にもあって、上質なミステリーを読んでいるみたいでした。難しい数学の問題がすっきり解けるような感覚に近いでしょうか。
5つ聴講して、最初から最後までついていけた話は1つもなかったけれど、用語と論点ぐらいは頭にメモできましたかね。まだまだの私だけど、今後に乞うご期待です!(自分で言う?w


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