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吉田豊「ソグド人と景教」

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シルクロード学研究会3番目の発表は吉田豊(京都大学大学院)「ソグド人景教」でした。吉田氏は中央アジアで使用された言語と文献研究のエキスパート。この日の研究会の発表は、前2つが発掘屋さんの仕事(研究)で、後2つが文献屋さんの仕事(研究)と言えるかもしれません。
内容から人選までバランス良く、最高のパフォーマンスが生まれるよう構成されていると感じました(生意気な言い方になってたらすみません。そんなつもりはなく単純に喜んでいる感じです^^;)。
吉田氏は冒頭で、シルクロード交易においてソグド人が果たした役割が絶大であることは言うまでもないが、宗教もソグド人を介して伝わったとは一概には言えず、ソグド人景教の関係はまだ不明な点が多いとし、本発表でその点を考察したいと述べて発表を始めました。
この際、「高橋先生から先ほど聞いたのですが」と言いながら、景教を中国に伝えたとされる「阿羅本」(アラボン、アロペンなどと読まれる)は「ラッボン、あるいはラッバン」(ラッは巻き舌の強勢音で発音していた)と読むべきで、人名ではなく、「わが父」という意味の尊称だそうですと話していてびっくり。それが本当ならこれまでの景教に関する本は次の版で書き直しです...(研究が進むのは良いことだけど)。
ソグド人景教の関係を探るのに、吉田氏が挙げた資料は大谷探検隊将来のキリスト教関係資料。シリア語とイラン語、ソグド文字ソグド語のものがあり、そのうちのソグド語資料に注目して翻訳し、8世紀の写本の特徴を持っていることを示していました。
続いて2006年に洛陽で発見された漢文景教碑文(洛陽景教経幢)を取り上げて、海のルートで中央アジアの本山と結びついていた可能性を指摘。また、この経幢に記されている4人の人物の姓が、「安」1人と「康」1人、「米」2人で、このうち「米」姓は比較的珍しい姓で、この姓が多いのはサマルカンドの南に位置するマーイムルグであることから、そこの出身者ではないかと推測していました。
更に、マーイムルグにはUrgut修道院があったので、そことの関連が考えられるとしていました。
発表の後半では、吉田氏はキリスト教徒が使っていたソグド語には2種類の方言があったことを提示して、それに基づく仮説を立てていました。ソグド語圏の中には、未完了形を多用する方言と、過去形を多用する方言があり、地域的には前者がより西に、後者がより東に存在するそうです(換言すると西方言と東方言)。
分布地域から、西方言はサマルカンドの教会、東方言はセミレチエの教会で使用され、それぞれの教会がキリスト教文書を翻訳し、後にその両方の訳がブライク修道院にもたらされたので、ブライク修道院には2つの方言の資料が存在するのではないかということです。
そうであるならば、有名な「聖ジョージの受難」のソグド語訳は過去形を多用しているので、セミレチエの教会で翻訳されたということになり、セミレチエ地区には大司教座があったという他の研究と考え合わせて、セミレチエにあった大司教座で「聖ジョージの受難」が翻訳されたと推定できます。
そして吉田氏は、そのセミレチエにあった大司教座こそが、アク・ベシムの巨大な教会遺跡(AKB-8)ではないかと結論を出していたのです。
私などは、結論に至って初めてそれまでの論考の意味がわかった次第で、一度聞いただけではよく飲み込めず、家で何度も予稿集を読んでやっと言わんとすることが(十分ではないけれど)理解できました。
それで思ったのは、吉田氏は自分で「大胆な仮説」と言っていたけれど、これはとても説得力ある主張ではないかということです。
本発表では、文献資料・考古学的資料双方の研究が車の両輪のようになって、信憑性が高められたり、事実が明らかにされたりする様(さま)が感じられました。「一度聞いただけでは半分も理解できないな」という能力の限界も痛切に。でもそれも面白さの一つだと考えてトライしていこうと思います♪

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