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岡田保良「メソポタミアの初期教会様式とアク・ベシム」

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シルクロード学研究会2番目の発表は岡田保良(国士舘大学イラク古代文化研究所)「メソポタミアの初期教会様式とアク・ベシム」。岡田氏は1980年代後半にイラクでキリスト教遺跡に遭遇し調査したのですが、その経験がアク・ベシムにつながったという興味深い話をしてくれました。
最初に、山内氏の発表にもあったアク・ベシムのキリスト教会複合体遺跡(AKB-8)について概観し、山内氏の分類で複合体Aとなっていた建物をより詳細に説明。主祭室、身廊、側廊と、教会堂建築としてほぼ完結していることを確認し、初期中世の建築であることから年代的にはクズラソフによって調査されたAKB-3とAKB-4と変わらない8世紀代であろうと推定しました。
さらに、この遺跡(AKB-8)がイラクのアイン・シャイーア遺跡の教会遺構や、ペルシャ湾(アラブ諸国ではアラビア湾と呼ぶ)に浮かぶファイラカ島アル・クスール、ハーグ島修道院遺跡の中央遺構とも類似するとポイントを挙げて指摘。アク・ベシム(キルギス)とイラク、ペルシャ湾とを結ぶ何かがあることを示唆しました。
1980年代後半のことですが、岡田氏は3年間に渡り国士舘大学イラク古代文化研究所でイラクのナジャフ(シーア派の聖地)郊外にあるアイン・シャイーア遺跡を発掘調査しました。
その際、予想外にも初期イスラム時代のキリスト教遺跡を発見し、建築遺構を復元。すると他のイラク領内に点在する同種遺構とは異なるのに、遠くファイラカ島やハーグ島の遺構とは特徴が一致するということが判明しました。
これまで考古学的に調査されたイラクの初期キリスト教遺跡は少なく、3つの廊を壁で仕切る形式はイラクの西南沙漠にのみ現れます。三廊式の教会堂は西洋にはよく見られ、イラク北部でも発見されていますが、それは列柱で仕切ったもので、このように(部分的に左右対称の開口部を持つ)壁で仕切った形ではないのです。
壁で仕切ると当然空間は狭まり、身廊がより閉ざされた空間になります。このような設計にしたのには明確な意図や合理的な契機があり、共通した教会建築の規範があったと推察されます。岡田氏は典礼に関係しているのかもしれないと述べていました。
試みに、イラク西南部で発見調査された教会堂遺跡のプロポーション表の欄外に、アク・ベシム教会堂遺構(AKB-8)の数値を書き加えて比較してみると、やはり関連性を感じる外ありませんでした。
それが何故(なにゆえ)であるかが今後の研究課題となることでしょうけれど、個人的には、今までまったく馴染みのなかったイラクのキリスト教会遺跡の写真や平面図をたくさん目にして、心のうちに浮き立つようなものを感じていました。
私が知っているつもり(とても限られた知識の範囲内)のキリスト教会とは違う、エキゾチックでアーケオロジカルなキリスト教会が別にあったのだと知り、世界が広がるような気がして。
最近よく、人種・宗教のダイバーシティ(多様性)という言葉を聞くけれど、キリスト教自体に元々ダイバーシティがあり、それが忘れ去られたままきてしまっていたのかもしれないと思いました。
紛争などで治安が安定せず、調査されなかったこともあるでしょうけれど、人々から忘れ去られていたという側面もありそうです。埋もれたものをこの世紀に掘り起こし光を当てることができるなら、多様性ある社会の素晴らしさを再び世界が認識できるようになるのではないでしょうか。
イラクの初期キリスト教遺跡・・・。できることなら行って直接見たいですが、今はイラクに調査隊を送れるような状態になく、いつになったら行けるのかも不透明だと聞きました。それらの遺跡が破壊されず、早く日の目を見る機会が訪れてほしいものだと思います。

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