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ゴーン逃亡劇に際して出てきた、キリスト教マロン派とレバノンについて

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テレビをつけたまま洗濯物を干していたら、「キリスト教マロン派」という言葉が聞こえてきて、思わず振り返りました。

カルロス・ゴーンもキャロル夫人も、レバノン大統領までもがマロン派のキリスト教徒で、逃亡を助けたとされるマイケル・テイラーもレバノンのキリスト教と関係があるのだとか。その人脈が今回使われたのではないかという話でした。

マロン派は、東方諸教会の一つ。お昼のワイドショーで「キリスト教マロン派」のフリップが出される日が来るとは・・・。逃亡劇については一旦措くとして、世界を見ていくのに東方キリスト教会の知識も必要であろうということで、少々書かせていただきますね☆

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《キリスト教マロン派

マロン派は、ローマ教皇・カトリックに帰属するものの、組織ならびに典礼などは独自の伝統を継承する教派。レバノンを中心とした中東地域のほか、欧米の国々にも教会があります。

信徒数は、2015年版『教皇庁年鑑』によると、レバノンに151万人、シリアに6万人、北米に17万人、中南米に137万人、オーストラリアに15万人、フランスに5万人(すべて概数)などとなっています。

マロン派の起源には諸説ありますが、紀元5世紀頃にアンティオキアで活動した宣教師マールーンに由来するというのが有力。7世紀末に異端としてビザンツ皇帝によって迫害され、レバノン北部の山脈に移住しました。12世紀になると、十字軍を通してローマ・カトリックおよびフランスと結びつき、1182年カトリック教会と合同しました。

しかし典礼にはシリア語とアラビア語が用いられ、総主教を自派で選出するなど(19世紀末までは司祭も妻帯できた)、カトリック教会との一体性を表明しつつつも、一線を画した伝統を保持しています。また原則として離婚、複婚、異教徒との結婚は禁止。ゴーン夫妻の場合はどうなのだろうと疑問が残ります。

名称としては、16世紀から18世紀初期までの祈祷書では単に「マロン派の教会」と記され、年代が進むとそこに「シリア人の」という語が加わりました。その後1980年代頃までは「マロン派アンティオキア教会」という名称が用いられ、現在ではカトリック教会の一部であることを明確にする「マロン・カトリック教会」という名称が使われることが多くなっています。

このような名称の変遷は、マロン派がより確実にカトリック教会の一部となっていくなかで、東方典礼教会としてのアイデンティティを確立してきた過程を反映しているといえようかと思います。

19世紀末および第一次世界大戦中に起きたキリスト教徒虐殺では、マロン派の信徒も多く犠牲になりました。大虐殺から100年後の2015年に当時の司教が殉教者として列福されました。近年ではシリアでISが拡大し、司祭が誘拐されるなどの事件が起こっています。

レバノンについて》

さてレバノンは、元々シリアの一部でしたが、1920年にフランスが現在のレバノンに相当する地域を委任統治したことから、国となるきっかけを得ました。フランスはマロン派を中心としたキリスト教徒を積極的に支援して、フランス統治下の1926年、レバノン共和国が誕生。

1941年、フランス本土がドイツに侵攻されていくなかで、シリアとレバノンが相次いで独立を宣言し、これをイギリスが承認したことで、戦後、正式に両国が独立を果たしました。

マロン派は政治的優位性を保ち、1943年の「国民協約」で、マロン派から大統領、イスラム教スンニ派から首相、イスラム教シーア派から国民議会議長が選出されることが決まりました。

しかしこれらのポストは、日本のように議会制民主主義に基づいた役割分担があるわけではなく、大統領、首相、国民議会議長それぞれが大きな国家権力を持っているという点が特徴です。当然そこには熾烈な権力闘争が伴います。

レバノンは、中東では珍しいキリスト教徒が中心の国家となりましたが、1948年にイスラエルが建国した際に、イスラム教徒であるパレスチナ難民がレバノンに大量に流入すると、宗教的なバランスが崩れ、1958年、両者の衝突による暴動が起こりました。

1975年から90年までのレバノン内戦では、パレスチナ解放機構(PLO)やドゥルーズ派(イスラム教徒)と、マロン派キリスト教徒が激しく争い、お互いに誘拐・拷問・処刑という残虐行為を繰り返しました。

1982年、イスラエル軍がレバノンに侵攻し、マロン派民兵のファランジストが対抗。この際ファランジストに軍事訓練を施したのが、ゴーン逃亡劇のテイラーではないかと思われます(私の想像なので間違ってたら教えてください)。

ファランジストはパレスチナ難民キャンプを襲撃、多数の非戦闘員を殺害し、国際的な非難を浴びました。 内戦終結後、憲法が改正され、大統領の権限は大幅に縮小されました。今もマロン派はレバノン国会に最大議席を維持していますが、海外進出でマロン派人口は減少傾向。そのため政治的影響力も相対的に低下しています。

現在のレバノン公認宗派の人口比は以下のとおり。
イスラム教 スンニ派24%
シーア派35%
ドゥルーズ派5%
アラウィ派1%
キリスト教 マロン派21%
ギリシャ正教7%
ギリシャ・カトリック4%
アルメニア正教3%

参考にした資料と「世界史の窓」マロン派のページです。
三代川寛子編『東方キリスト教諸教会――研究案内と基礎データ』
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-024_1_1.html


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