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古河柳生の切支丹集落を裏付ける『古河発正御所日記』発見について

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古河柳生の切支丹集落」を裏付ける『古河発正御所日記』についてですが、引用中の古文書を書き起こしました。↓

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海老沢有道「ゑぴすとら」p431より

古河発正御所日記』

前号に「古河柳生の切支丹集落」の中に『古河発正御所日記』発見について一言したが、その後、古河在住の川島恂二氏から、キリシタン関係記載葉の写真を恵送に与った。氏はかねてから(中略。氏の本の)御恵贈を賜った。それに掲載された、いわゆるマリア観音・クルス墓碑類については、実地踏査を経ていない者として、発言を控えさせて戴く。

(中略)題名の言辞について解説に苦しむし、藩主の年代が異なっていることも一旦措くとして、毎日新聞紙上や川島氏が著書に載せているのと実際の文言とは相違があるので次に掲げる。

「一、九万石  永井信濃守尚政
内弐万ハ自分領す
寛永七年末七月十八日廿日迄大水。此時川辺人死。三ツ一ツ残。下宮村ニテ四百人絶死。切支丹下宮村ニ集、新田を立申候。顕金堀谷ニて九拾五人、はり付ニ掛り、御けだ小袖ニて候得共、淀江御国替御越被成候。明暦三年正月十八日昼夜六日、江戸中大火、御城諸大名、町中死人十万人ニ及。此時無縁寺立、廻向院ト云。」

まさに、これほど支離滅裂な文も珍しいというべきであるが、キリシタン関係文章は一応「切支丹下宮村に集め、新田を立て申し候。金堀谷にて九拾五人顕われ、はり付に掛り」と訓むとしても、何とも云えぬ文章と言わざるを得ない。切支丹露見というようには云うものの、「顕」が「金堀谷」の上にあることや、「はり付に掛り」で(はり付に掛け候」または「はり付に掛る」とは決して読めない)、いきなり文意不明の「御はだ小袖云々」となるのである。(中略)その後の江戸の明暦の大火との突飛な記事が、何故そこに記されなければならないのか理解に苦しむ。
(中略)
いずれにしても、こうした支離滅裂な記録は、史料として信憑性を疑わざるを得ない。従って史家として、私はこれによってキリシタン殉教を論ずることは傍証の見出されぬ限り差し控えざるを得ないのである。
(1975、Ⅺ、10)


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古河のキリシタンについては、この古文書を元に95人が金堀谷で殉教したと考えられていて、私も行ったことがあります。カトリック古河教会では毎年殉教者顕彰ミサも行われていて。しかし海老沢氏が言っているとおり文章がおかしいですね。

関東に大勢の「かくれキリシタン」がいたという言説は、郷土史家によって次々と「発見」される「キリシタン遺物」「キリシタン墓碑(石殿)」と共に問題含みだと思います。郷土史家と学的研究の専門家がタッグを組んで、実証的な研究がなされることを願ってやみません。



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