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『永遠の詩08 八木重吉』 俳優・高橋長英さん

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朝日新聞にこんな記事が載っていたと友人から教えてもらいました。
   ↓

(思い出す本 忘れない本)『永遠の08 八木重吉』 俳優・高橋長英さん
朝日新聞デジタル2014年3月9日05時00分

八木重吉〈著〉

 ◇無垢な魂を思い出させる

《ああちゃん!

 むやみと

 はらっぱをあるきながら

 ああちゃん と

 よんでみた

 こいびとの名でもない

 ははの名でもない

 だれのでもない》

 中学の終わりころ、二つ歳(とし)上の姉が読んでいた少女雑誌をめくっていたら、この「ああちゃん」に出会いました。「わぁーっ、そうそう、わかる。僕もそうだよ」。人間って時々、叫びたくなることない? とくに、思春期のもやもやした気持ちは僕だけか、と不安だったから、ほっとしたのかな。

 それからしばらくは、高校の友だちと『チボー家の人々』や『人間の條件』を「いま何巻読んでる?」と回し読みしたりして、とはご無沙汰していました。

 だいぶたって、また読み始めます。中原中也や田中冬二もすてきだと思ったけれど、やっぱり八木重吉が残ってて、朗読会でも読むようになりました。たとえば、

《ゆうぐれの陽(ひ)のなかを

 三人の児(こ)が

 ななめの畑をのぼってゆく

 みていれば なきたい》

 僕もそれを見たら、なきたくなっちゃうかもしれないなと思う。

《わたしのまちがいだった

 わたしの まちがいだった

 こうして 草にすわれば それがわかる》

 誰にも、そんな経験があるんじゃないか。あの時はそういうことだったのかと。自分も本来持っているけれど、心のすみや外に追いやっている無垢(むく)な魂を、思い出させてくれる。だから心がささくれて、殺伐とした時に読むと、気持ちが静まるのかもしれません。

 自分というか、自我をうたっているんじゃないよね。それなら、こんなに心打たれないと思う。大自然に身をゆだね、ちっぽけな自分を対象化している。自然と一つに溶け込んでいるから、透明感があって胸に響くのかもしれない。

 八木重吉は、29歳で亡くなりました。奥さんのとみ子さんは、のちに歌人の吉野秀雄と再婚し、吉野の力を得て、重吉のが広く知られるようになったそうです。

 十数年前に「高き彼物(かのもの)」という舞台をやりました。吉野の歌からとった題です。吉野は、とみ子さんと一緒に重吉の墓参りに行き、「重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け」と詠んだ。それもすてきな話だな。

 この人を好きな人は「私、八木重吉好きです」なんて言わないで、そっと心の中にしまっているんじゃない? あなたもしまっておきなさいよ、と叱られるかもしれないね。

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