アウグスティヌスとキリシタン!

1591(天正19)年。加津佐で出版された「丸血留の道」にはアウグスティヌスへの言及が数か所あります。
「アグスチノ(キリシタン)ニ成リ玉ハザル以前ヨリ大学匠ニテ、此御法ヲ云イ崩サントシ玉ト雖、御主御堪忍深ク在マスガ故ニ、命ノ隙ヲ延ベ玉也。其レニ依、(キリシタン)ニ成リ、ビスポノ位ニ任ゼラレ、ド当留トテ恵化(エケレジヤ)――ヲカカヘ玉フ強キ柱ト成玉也」(海老沢有道編「キリシタン書、排耶書」)と、シンプルだけど適切な説明が。
またスペイン人ルイス・デ・グラナダが著し、日本語に訳されたキリシタン版「ぎやど・ぺかどる」にも「サントアウグスチノ」「さんとあぐすちの」という名でしばしば出てきます。
アウグスティヌスの作った会則に基づく修道会アウグスティノ会はキリシタン時代に来日し、長崎に教会を建てて活動していたので、彼のことは名前だけでなく、伝えられる話の中にも現れ、知られていたのでしょう。
2008年に列福された金鍔次兵衛もアウグスティノ会の神父でした。日本人信徒によく読まれた「どちりなきりしたん」にもアウグスティヌスの思想の影響が認められるといわれています。
明治になると、日本は西洋の進んだ文化を受容し始めたので、その流れでキリスト教関係の思想も紹介され、アウグスティヌスのことも取り上げられるようになりました。
訳書や小伝が出され、大西祝や北村透谷らがアウグスティヌスについて述べています。次いでより詳しく研究する者たちが出てきて、岩下壮一や吉満義彦らが優れた業績を残しました。
多くの人がアウグスティヌスの著書を読み、思索・研究したわけですが、中でも注目したいのは西田幾多郎と矢内原忠雄。西田は「善の研究」において、アウグスティヌスの言葉を引用し、高く評価しています。
矢内原は1937(昭和12)年、東大教授の職を追われ、自宅で私塾を始めたのですが、その最初の講義で取り上げたのがアウグスティヌスの著作でした。
矢内原は、アウグスティヌスを学ぶことが「われわれにとりて生活の現実の力」となると言っています。・・・うーん、凡人たる私には言い得ない言葉ですね。
しかし、このように長きにわたり日本人に影響を与えてきた人物だということは分かります。キリシタン時代からざっと400年ですか。
信仰の先輩たちが「アグスチノ様」と呼んで尊敬していた人を、今自分が「アウグスティヌスすご!」と思っている――。些細なことかもしれませんけど、また一つ、キリシタン時代の信徒たちとのつながりを見つけたような気がしてうれしかったりします٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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