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講談社「人類の知的遺産」の一冊「アウグスティヌス」

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講談社刊「人類の知的遺産」全集の一冊「アウグスティヌス」を、図書館で手に取ってみたら、あまりに面白くて、そのまま5時間一気読み。(さすがに座りはしましたが(^_^;)
本を読むのにも「時がある」んだなと思いました。

名前とプロフィールくらいは知っているつもりでしたが、アバウトに知っているのとちゃんと知るのとでは大違い。驚きの連続でした。特に生涯の前半は、「この人大丈夫?」と思うような感じで、この後どうやって聖人になるんだろうと思ってしまうほど。

アウグスティヌスが生きていたのは4〜5世紀の地中海世界。この頃キリスト教は、東方教会の方が勢力が勝っていて、公会議のほとんどがニケアなど東方で開かれていました。

コンスタンティヌス帝が313年にキリスト教を公認しましたが、帝の息子たちは異端的キリスト論を主張するアリウス派を支持し、その後に現れたユリアヌスも背教者となるなど、キリスト教の置かれた状態は安定していませんでした。

そんな中、アフリカのヒッポ・レギウスに生まれたのがアウグスティヌス。両親はローマ市民権を持っていましたが、母モニカはベルベル人系で、父はローマ人でした。母は信仰深かったことで知られますが、父はどうだったかというと、死の直前になって受洗したのだとか。

その頃のアフリカでは、洗礼後に罪を犯すのを恐れ、死の直前に受洗するのが通例だったそうで。うーん、という感じです。

さて青年になったアウグスティヌスは、17歳で同棲し、18歳になる頃父親に。この時の女性とは15年間一緒にいましたが、結婚しませんでした。そのことは何となく知ってましたが、マニ教会に9年間もいて、説教もし、友達を導いたりもしていたことは初耳。

出世と真理探求のためにローマに行き、そこでアンブロシウスと出会ったことから、(アウグスティヌスにとっての)回心の物語が始まります。

ただし相変わらず女性関係は不良で、子供をもうけた女性が去って行ったので(モニカ大喜び)、財産家の娘と婚約しましたが、彼女が結婚年齢の13歳に達していなかったため2年待たねばならず、他の女性に近づいて情欲を満たしていました。。

387年、ミラノ大聖堂でアウグスティヌスは、息子と親友と共に、アンブロシウス司教から受洗しました。キリスト教の著作を著すようになり、説教家としても知られていきます。

死の床にある母と宗教対話をして、更に信仰を深め、父の遺産を処分して修道院を作りました。391年にはヒッポ・レギウスの司祭に就任。死ぬまで40年間務めました。

ついで司教にもなったので、訴訟まで扱うことになり多忙を極めましたが、再洗礼の必要性を説くドナトゥス派と戦い、「告白録」「三位一体論」などの多くの著作を残しました。

しかし時代は大きな転換期に差し掛かっており、ローマ劫略が起こりました。そしてヒッポ・レギウスも、430年、ヴァンダル族に包囲され、抵抗戦の最中、アウグスティヌスは死去しました。

最後まで懺悔と賛美以外口にせず、76歳で逝きました。しばし後、ヴァンダル族がなだれ込み街は破壊されましたが、アウグスティヌスの建てた修道院と図書館は残ったのだとか。墓はイタリアのパヴィアにあるそうです。(←ちょっと行ってみたい♪

サマリーを書くつもりなどなかったんですが、勢い余って書いてしまいました。自分用ですね。しかし想像以上に波乱万丈で、いえ、宗教的にも私生活的にもすごい振れ幅の大きい人生で、目を丸くして読むしかありせんでした。

全集ものでは、我が家にも「アウグスティヌス」があるのだけど、編著者のお陰か、こちらの方が面白いですね☆


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