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呉座 勇一「応仁の乱~戦国時代を生んだ大乱」

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呉座 勇一「応仁の乱~戦国時代を生んだ大乱」読みました。中公新書の一冊としてリリースされた、内容がギュギュっと詰まった骨太な本です。

 

手に取るようになったのは、著者が昨年行われたマレガ・プロジェクト(1929年来日し大分でキリシタン関連文書を集めたマレガ神父の寄贈資料を、バチカンと合同でデジタル化する試み)のシンポジウムで司会を務めていて、とても明晰な人だと思ったから。著書を読んでその印象が更に強まりました。

 

本書で扱っているのは、タイトルの通り応仁の乱(14671477)。この戦いは、日本史上屈指の大乱でありながら、その起こりと結果が曖昧で、知名度が高い割には、何だったのかが十分に知られていないという実態があります。それはなぜなのか、また乱の後に何が残ったのか、ということを解き明かすのが本書の趣旨。

 

確かに私も「山名宗全と細川・・・誰だっけ?」という感じで、ザビエルが来た時ミヤコが荒れていたのは応仁の乱の故だったことくらいしか頭にありません(自慢にならない;;)。もちろん室町時代の後期に、諸大名が東西両軍に分かれて、京都の街を主戦場として戦ったことは知ってますけど、全体的にぼんやり感が。

 

本書では、戦が長期化した原因として、兵器が進化し、陣地が要塞化したことで戦線が膠着したことを第一に挙げていました。また、足利義教以降恣意的な裁定によって大名家が浮沈を繰り返し、それによって牢人が増えたことと、慢性的な飢饉で都市に下層民が流入し、足軽になってゲリラ戦を展開したのだと指摘。

 

「足軽」は、こういった経緯でこの頃誕生したんですね。中世の時代に京都でゲリラ戦があったとか、巨大な攻城兵器が建てられていたとか、想像したこともなくて、その頃の京都の想像図が一気に不思議ワールドに変わりました。

 

で、どちらが完全な勝者とも言えない噛み切れない肉のような形で、一応乱は終わり、それだけどグズグズした戦いと権力闘争が後を引き、結局ミヤコは荒廃した訳ですが、ではこの乱が残したものは何だったろうかということが終章に述べられています。

 

これは筆者が至った結論ですが、応仁の乱が残したもの、それは「地方の時代の始まり」ではないかということでした。守護在京制の解体が、地域に根差した者への権力移行を促し、地方の時代が始まり、そのことによって京都文化が地方に伝播するようになったのだと、歴史的な文脈を読み解いていました。

 

ここまで半端ない緻密さで論考されてきたので、終章の結論は説得力あるものとして感じられました。個人的には、ザビエル来日の前の日本はこんな様子だったんだなと、もう少し広く歴史の周辺を見渡せるようになったのが、今回の読書の収穫ですかね☆


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