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櫻井義秀「人口減少時代の宗教文化論」

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櫻井義秀著「人口減少時代の宗教文化論」読みました。北大教授の櫻井氏が「月刊住職」(旧誌名「寺門興隆」)に連載した文章を一冊にまとめたもので、感じとしては「読み物」。時事問題と宗教に関する話題が主な内容になっています。

中盤には、スピリチュアルなものが流行り、それにまつわる問題も増えているということが書かれていました。私は最近は宗教や信仰などというまどろっこしいものよりも、手軽にご利益を得られる神社参拝や、コレクター心をくすぐられる御朱印集めの方が流行っているんじゃないかなと思います。

さて時世と人の心を反映して、その時々に流行るものがあり、それが社会学の研究対象になりますが、問題は行き過ぎた耽溺(依存や中毒)。スピリチュアルなものに惹かれるのは社会現象ですが、占い師に全財産を渡してしまうことは社会問題です。つまり流行り廃りは研究対象だけれど、実害が著しい場合は社会問題として捉える必要が出てくる訳です。

櫻井氏は宗教社会学者の観点から、宗教が社会インフラの役割を果たしうることを認めています。しかし、自分が「カルト」だとレッテルを貼った団体に対しては、救いがあることはおろか、いかなる社会活動をも許さない考えのようです。「カルト」には、当然それだけ実害があると考えているのでしょう。

だけれど実害の判定には、それ相応の慎重さが求められます。また事実認定も同様に慎重に行うべきことです。自分の目に「確かであろう」と映ることでも、真実でないことはあり得ます。一体真実であるとは何をもって決めることができるのでしょう。証言の信憑性でしょうか?証言者の様子や態度から?裁判でも物証がない場合は、裁判官の自由心証によって判定されます。そこに曖昧さが入る余地はないと言い切れるのでしょうか。

自分を振り返れば、私も人間なので、事の大小に関わらず自分に見えた通り、自分が感じた通りに判断しているのだと思います。私が本当だと思っていることでも、真実とは違うことがあるのでしょう。だから人のことを云々できませんが、随時顧みることができれば、独断の陥穽にはまることを少しは回避できるかと。人の振り見て・・・我が振りを直せたらと思いました。


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