FC2ブログ

Heaven's Cafe

キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

Entries

台湾旅行三日目は台北101(イーリンイー)と大学めぐり

taiw4029.jpg
taiw4139.jpg

台湾旅行三日目は台北101(イーリンイー)と大学めぐり。台湾で殖産興業に努めた新渡戸稲造のことを思いながら。

台湾と中国では使う漢字が違うことは知ってましたが、歴史的にどうしてそれを採用するようになったかと、発音の違い、パソコンでの入力方式の違いなどの細かいことは、今回初めて知りました。

毎日報道されている香港の様子を見ながら、根っこは同じだなと感じます。「一つの中国」「一国二制度」については今も動いていて決着のついていない問題ですが、ちゃんと考えてみようと思い、書けるところまで書いてみました。

歴史的な流れを見ると、今起こっていることは日本も無関係ではないなとつくづく思います。

http://content.tenjounoao.com/taiwan3.html
スマホ版は⇒http://content.tenjounoao.com/sp1/taiwan3.html



スポンサーサイト



11/17のツイートまとめ

tenjounoao_yume

沼田市歴史資料館では11月7日(木曜日)から12月3日(火曜日)まで企画展「かくれキリシタンと鉱山」が開かれています。11月23日(土曜日) には講演会「真田領のキリシタン」も。#キリシタンhttps://t.co/qYb3vjQBtq
11-17 23:19

台湾総統府などをめぐった旅行記「虹色の我愛你 2」ができました。

taiw2002c.jpg

台湾総統府などをめぐった旅行記「虹色の我愛你 2」ができました。
台湾総統府は元・台湾総督府。日本統治時代の本拠地だったのに、今もその建物が総統府として使われていることは、台湾人の日本への思いがそのまま表されている気がしました。それくらい日本に対していいイメージを抱いてくれているんですね。

その原因の一つは、「狗去豬來」(犬去りて、豚来たる。つまり日本の後に中国が来て、その支配の方がずっとひどかったという意味)だと考えられていますが、そんな「マシ」的な捉え方だけでは説明しきれてないように思います。

ラストでは台湾でのリバイバル(クリスチャン人口の増加)について書いています。毎度拙い文章ですが、良かったら~(╹◡╹)

http://content.tenjounoao.com/taiwan2.html
スマホ版は⇒http://content.tenjounoao.com/sp1/taiwan2.html



渡邉大門「光秀と信長~本能寺の変に黒幕はいたのか」

渡邉大門著「光秀と信長~本能寺の変に黒幕はいたのか」読みました。来年の大河ドラマの主人公が明智光秀と発表されて以来、光秀と本能寺の変に関する本が続々と出され、「あー、こうなると思った」という状況ですね。

もともと日本史最大のミステリーと言われていた本能寺の変については様々な説が乱立していたのに、そこへ大河ドラマ便乗組が加わって、かまびすしいことこの上ないです。
だから諸説を整理して、ちょっと落ち着きたくて本書を手に取りました。本書の著者が得意としているのは史料批判だから。

まず、一つの説を唱えるのなら、その基となる史料を提示しなければなりません。そしてその史料の信憑性と、史料解釈の妥当性を検証した上で、「こうであろう」という結論を導き出すのが正常です。だけれど人によっては、「自分にはこう思える」から始まって、史料を自説の補強のために使っていることがあります。

そうすると、自分の思いが先走るために、史料批判が甘くなり、読んでいるとまるで小説かエッセイのようです。そのセンセイのファンならいざ知らす、そうでないと「えーっと、それはあなたの捉え方に過ぎないのでは・・・」と思ってしまうことも。

さて光秀と本能寺の変で、諸説の乱立する原因となっている論点は大きく2つ。光秀の動機と、光秀に黒幕がいたか、です。本書では、誰がどんな史料を元にどのような説を唱えているかを挙げ、その史料の正当性、妥当性を検討することから始めています。特に詳しく扱っているのは、足利義昭黒幕説と天皇・朝廷黒幕説ですね。

「人間心理で言えば・・・」とか、現代人の推測を交えないところが有り難いです。
そして最終章で、それまで論拠を挙げて述べてきた内容をまとめて、著者自身の説を展開しています。それを読んで、「自分はそれを信じない」と思ったとしても、私が考えるに、得るものはあると思います。最終章までの間、丹念に史料を土台に検討したことが残るので、「無」ではないんですね。

自分が「やっぱり黒幕は朝廷だよ」と思ったとしても、どんな史料をどう解釈してその説が成り立っているのかがわかり、弱点も知って納得するならば、読んだ甲斐があります。逆に、自説ばかり「こうであろう」で展開されている本では、残るものがないから無益だということですね。

出版界の便乗は今年いっぱいで終わらない気がします。各所でイベントも行われて、光秀と本能寺の変は、来年の注目ワードになることでしょう。そんな中で迷子にならないために、また自分なりに考えてみたいというときに、「これが真実だ!」「437年目にしてついに真相解明!」と謳い、専ら自説を主張するだけの本より、本書は広い視野を与えてくれるのかと思います。

https://www.amazon.co.jp/文庫-光秀と信長-本能寺の変に黒幕はいたのか-渡邊-大門/dp/4794224095

スプリングボクス(ラグビー南ア代表の愛称)の優勝パレード

timeline_20191107_124611.jpg

仕事で南アフリカにいる友人が、首都プレトリアで行われたスプリングボクス(ラグビー南ア代表の愛称)の優勝パレードを撮って送ってくれたので、本人の了解を得て写真を上げつつ、ついでに私の思うことも書きたいと思います♪

日本でも「にわかファン」を急増させたラグビーワールドカップですが、ラグビーが国民的スポーツである南アでは、国がひっくり返るほどの熱気と興奮が今も続いているようです。

だけどそれは単なるお祭り騒ぎではなくて、ラグビーWC勝利の歴史に南アの国としての歩みが重なって見えるから、国中の人が喜び感動しているのではないかと思います。

南アが初優勝したのは、自国開催となった1995年のこと。この前年に、アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃で知られるネルソン・マンデラが大統領に就任しました。マンデラは27年間も収監されていたにもかかわらず、自分を閉じ込めた白人に復讐するのでなく、民族融和政策を採り、「レインボーネーション(虹の国)」という構想を掲げました。

それは、あらゆる人種と様々なバックグラウンドを持った人々が、互いを価値ある存在として認め合い、平和な国を築くこと。「違い」を「豊かさ」として捉える多文化共生社会の考え方です。当時としては画期的な考え方で、実現は不可能とさえ言われていました。

そんな中、初めて出場した南アは優勝の栄冠を手にするようになり、マンデラは、当時のピナール主将と同じ背番号6のジャージを着た姿でスタジアムに登場。14人の白人と1人の黒人からなるスプリングボクスは、人種融合のシンボルとなりました。

それから12年後の2007年にも、黒人選手2人を含む南アチームはラグビーWCを優勝で飾りました。しかしこの頃になると、マンデラ後の政権を握ったタボ・ムベキと続くジェイコブ・ズマが互いに汚名を着せ合い、国内が分裂し、人々も自分の利益を求めて贈収賄に走ったので、トップから警察に至るまで汚職が蔓延するようになっていました。

そしてそれからまた12年を経て迎えた今回のWC――。主将は、スプリングボクス127年の歴史で初めての黒人キャプテン、シヤ・コリシ。奇しくもコリシが生まれた1991年6月16日は、アパルトヘイト政策が廃止される前日でした。背負った番号は「6」。マンデラが身につけたのと同じ番号を、南アの人々は特別な思いで見つめたことでしょう。

また今大会は非白人の選手が31人中12人にも上る正にレインボーチーム。この布陣で戦って、最後に破ったのは旧宗主国であるイングランドでした。南アはラグビーWCの優勝回数が世界最多の3回(ニュージーランドとタイ)となり、ラグビー世界ランキング1位に輝きました。

だけど、国内に様々な困難を抱える南アにとっては、優勝したからといって全てがハッピーになったとは言えません。

これからこの熱狂が、何が自分たちをチャンピオンにさせたのかという答えにたどり着くとき、個人と社会に変化をもたらし、実を結んでいくのではないでしょうか。そういう意味では、優勝もいいけど、それをスターターとする「いい機会」が得られることが、もっと素晴らしいことのように思えます。

そして世界中の人々が見守ったラグビーWCを通して、世界に発信されたメッセージもあるように思います。それは既に始まっている多文化共生社会において、私たちがどのように考えを転換し、未来へと進んでいくべきなのかというヒント。

テレビを観ていると、コメンテーターたちは、「ノーサイドっていいよね」「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの精神って日本人に合っているんだと思う!」と感動しきりでした。

でも世界情勢を見渡せば、各国は臆面もなく自国ファーストを打ち出し、日本でも異国にルーツを持つ人々へのヘイトスピーチが街角で行われています。

しかし今大会は、日本代表も人種や国籍を超えた、いわばレインボーチームで臨み、史上初となるベスト8進出となったのです。これは、偏狭なナショナリズムに対する、強烈なアンチテーゼと言うことができるのではないでしょうか。

楕円形のラグビーボールは、どこに飛んで行くのか予測がつきません。素人考えでは「何であんな形に?」と思ってしまいますが、これが世界だと思えば、どこか納得するものがあります。予測不能の世界に住む私たちが、どうすればこのボールをハンドリングできるのか・・・。

日本チームで活躍した選手たちの顔を思い出すとき、多様性を包摂する社会にこそ未来があるように思えてきます。今大会が日本で、私たちの目の前で行われたことを、日本でも「いい機会」にしたいものですね。

感動が冷めないうちにと思い、まだちゃんとまとまっていないけれど、感じたことを書かせていただきました(*ˊᵕˋ*)

timeline_20191107_124614.jpg


*CommentList

11/09のツイートまとめ

tenjounoao_yume

知りませんでした。11/10までとは・・・涙。 https://t.co/KVLEEJasI8
11-09 11:08

台湾の旅行記「虹色の我愛你(ウォーアイニー)1」ができました☆

taiw01222c.jpg

台湾を訪れたときの旅行記「虹色の我愛你(ウォーアイニー)1」ができました☆
中国語は你好(ニイハオ)と謝謝(シェシェ)しか知らないくせに、勢いで一人で行ってしまった台湾。一日目はやっぱり大変でした。。
それでも帰ってきたから旅行記も書いていられるんだなと、しみじみ有り難く思いながら綴っておりました。
日本に50年間もの間統治された台湾には、どんな記憶として日本が残っているのかが気になって、日本統治時代の建物などを回っています。よろしかったら覗いていただけたらと~~(o‘∀‘o)*:◦♪

http://content.tenjounoao.com/taiwan1.html
スマホ版は⇒http://content.tenjounoao.com/sp/taiwan1.html です。



旅行を終えて、特に大分に関して気になったことを・・・

19kys108165619677.jpg

19kys108161218055.jpg

旅行を終えて、大分でいくつかのことが気になりました。備忘録を兼ねてちょっと書いておきますね。

・十字形の発掘品:下の写真の発掘品は、埋蔵文化財センターの常設展にあったのものですが、見事に十字形。

これが近世の地層から出土していたら、「キリシタン遺物だ!」と言い出す人がいるかと思いますが、これは今から3800年ほど前の縄文時代の物。十字形の石器は、手のひらサイズの物と小さい物と二つ展示されていましたが、恐らく何かの用途に用いられた道具でしょう。信仰具ではありません。

このように年代があまりに古い地層から発見されていたら勘違いされることもありませんが、古墳時代以降の地層からだと、「原始キリスト教が伝わっていたからだ!」「景教が伝来していた証拠だ!」という人が必ずと言っていいほど現れます。

十字形のようなとても単純な形の物が発見されただけで、即キリスト教の物だと判断してしまう発想はやめた方がいいですよね。

竹田の「切支丹籠屋敷」:先哲史料館の方で展示されていたのが、宝永6(1709)年の竹田市の古地図「竹田火事之図」。ここに「切支丹籠屋敷」の文字が見えます。キリシタンを捕縛して収容していた牢屋があったということですね。

竹田は今でこそ「ミステリアス!竹田キリシタン」として「隠れキリシタン」ならぬ「隠しキリシタン」の可能性を示唆していますが、史実を追ってみると首を傾げざるを得ません。

まずキリシタンであるが故に処刑された者が確認できるだけで95人ほどいて、この人数は、全国的にはもちろん、殉教地の多くある九州でも多い方に入ります。

元和の大殉教など「大殉教」と呼ばれるのが一度に50人規模の処刑ですから、時期的にばらけたとしても大殉教地の一つと数えるのが妥当です。

=======
この点に関しては、竹田「隠しキリシタン」説を推す人は明暦年間から安永年間までの百年余りの間、岡藩内で処刑されたキリシタンは95名とされています。年間1名居るか居ないかです。これは九州の他藩に比べ異常に少なく、藩主である中川家が幕府に対し取ったギリギリの処刑数ではないかと云われてます。(処刑無しでは信徒数の多かった地域としては不自然で却って怪しまれる)。」とおっしゃるのですが、安永年間まで処刑が行われていたとしたらそれだけでも大変なことで、95人は「異常に少ない」なんてことは全然ありません(岡藩は小藩ですし)。怪しまれるから年1人ほど処刑していたなんて話、ほかで聞いたことないですし。「隠しキリシタン」説の人は皆さん同様にこの説明をなさいますね。

=======


また牢屋で拷問が行われたかどうかは不明ですが、切支丹牢は棄教しなければ死ぬまで入れられているのが通常で、これだけ殉教があった地域だと牢内で死亡した者も1人2人ではないだろうと考えられます。

つまり、処刑された者だけでも多いのに、牢死した者まで併せると相当な数に上ると想像され、全国でも指折りの殉教地となるわけですね。

これは、「藩主や家老たちが入信していた可能性があり、宣教師を匿い、禁教下でキリスト教徒を保護していた(かもしれない)」という「隠しキリシタン説」と矛盾するように思われます。

そもそも「隠しキリシタン」は観光用のイメージだから目くじらを立てることはないという考え方もできなくないですが、そのイメージがメディアに取材されることで人口に膾炙しつつあり、カトリックのクリスチャンまでが「竹田はロマンティックで素敵だ」と感化されているのを見かけます。

キリシタンが捕縛され、殺されていたという事実があるのに、殉教地があることすら知らず、洞窟礼拝堂の神秘的な雰囲気やキリシタンが匿われていた里(「隠しキリシタン説」によれば)という美しいイメージだけが先行して、それでいいのだろうかという・・・。

だけれど、この古地図が竹田市立歴史資料館から貸し出されているということは、史実をちゃんと見ようとする学芸員の方が竹田にも大分にもいらっしゃるということなのでしょうね。今後是非その方々に頑張っていただけたらと期待しています。

・大友宗麟はキリシタン大名?:宗麟公まつりで皆さんふつうに大友宗麟のことを「キリシタン大名」と言い切ってらっしゃったんですけど、厳密に言うと、大名やめてからキリシタンになっているので、「大名」と「キリシタン」が両立した時期は無いですよね。

宗麟は、藩主であるうちは家臣たちの反発を恐れて洗礼を受けることができませんでした。私より遥かに宗麟に詳しい方々ばかりなので、たぶん煩雑さを避けるためとりあえず「キリシタン大名」と言われていたんでしょうね。

・ザビエルを招いた?:ついでに言うと、顕彰フォーラムの方々が、宗麟が「ザビエルを府内に招いた」とおっしゃっていましたが、それも厳密に言うとクエスチョンマークですね。1551年8月にザビエルが来たのはポルトガル船が豊後に着いたと聞き、ポルトガルからの便りがないか、また乗組員から何か得られる情報はないかと思ってのことでした。

その際に、以前からザビエルのことを聞いていた宗麟が、せっかくだから是非館に来てくださいと招き、歓待したということは事実ですが(フロイス「日本史」6巻P58~60)。ちなみに府内への滞在期間は約 2 ヶ月。まだ両国の言葉に堪能な通訳がいなかったので、深い対話ができたかはわかりませんが、大きな影響を受けたのは確かだろうと思います。

これも歌詞などでは文字数が多くなっては煩雑だから、それを避けるために問題のない範囲で省略した表現なのだと思いますが、頭の中での認識は正しくしておく必要がありそうです。

・竹中重義を忘れてない?:それからもう一つついでに言いますと、宗麟を南蛮文化を栄えさせた英明な藩主とフィーチャーするなら、第二代府内藩主竹中重義が長崎でキリシタンを穴吊りにし、雲仙で地獄責めをした人物であることも記憶に留めてほしいですね。

お祭で知らせるようなことではないけれど、「大分のキリスト教史」と銘打つ企画展であれば、一言くらいは触れてもいい気がしました。以上です☆彡


11/06のツイートまとめ

tenjounoao_yume

コメダの和カフェ「おかげ庵」。癒やされます♪ https://t.co/05fsTBQw5Q
11-06 23:57

埋蔵文化財センターの企画展「宗麟とキリスト教」♪

19ky108184.jpg

最終日の10/8はこの旅行のきっかけとなった埋蔵文化財センター(略して埋文)の企画展「宗麟とキリスト教」へ☆

今企画展のために日本全国から集められたキリシタン遺物は貴重なものばかりで、何点かは実物を目にすることがとても難しいので、この機会を逃したら次いつ見られるかわからないんですよね。

今ラグビーワールドカップで盛り上がる大分の街には「一生に一度が大分に!」の文字が踊っているのですが、それはキリシタン遺物のことでしょう!というのが私の意見。笑

さて満を持して行った企画展で、特に目を引かれたのは、ザビエルの皮膚と多数の府内型メダイ、久留米から出土した十字紋軒平瓦と宮崎の塩見城跡で発見された土製聖人像でした。

しっかと見られて満足です。これで無料ってすごい。
====
※埋文にはちょうどNHKが取材に来ていて、話をする後藤晃一氏(今回の企画展をディレクトした方)の後ろに映りこんでいました(๑˃ᴗ˂̵)
====

一旦大分駅に戻ってとり天を食べて、午後からは先哲史料館へ。こちらでも「大分のキリスト教史」展が開かれていまして。

埋文の見どころがキリシタン遺物なら、先哲のそれはキリシタン関連文書。転び証文や起請文、捕らえたキリシタンに関する申し送り書などが充実してるんですが、見ていると心が痛んできたりもしますね…。

ただ「こんな史料があるんだ」というものが並んでいて、キリシタンの統制の実態をリアルに知ることができます。

大分県は江戸時代八つの藩の領地が入り組んでいたので、調べるのが大変だろうなと思っていたのですが、マレガ文書も含め多くの史料があるので、整理・解読されていけばかなり詳細に当時の様子が明らかになりそうです。

先哲もカタログ付きで無料。埋文の方は大半の物の写真も撮れ、大友氏遺跡の国重文も全部見られる特典付き。大友氏遺跡の遺物だって、一堂に見られる機会はそうそうないかと思われます。もう、なにこの太っ腹!(喜ぶぞ、こら♪

大分県におけるこのような宗麟&キリシタンへの注力は、観光振興と地域活性化が目的なのでしょうけど、キリシタン・ファンには大いに有益を与えてくれるもの。有り難く思いながら、ファンの側からも寄与できることを探せたらと思います。

そんなことを考えたりしながら、11泊12日の九州旅行を終えました。無事に戻ってきて、相鉄線に乗れてほっとしております。いつものことではありますが、感謝の心でしめくくりたいと思います(=^・^=)


左サイドMenu

プロフィール

由愛(ゆめ)

Author:由愛(ゆめ)
キリシタンのあしあとを求めて旅するサイト『天上の青』の管理人をしています☆

twitter

最新記事

ブログカウンター

最新トラックバック