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Heaven's Cafe

キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

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06/18のツイートまとめ

tenjounoao_yume

私の推しメン(作家さん)。もう「ブレイク寸前」でなく、ブレイクしていると思う。 https://t.co/gSO93cLlUF
06-18 21:39

韓国で倭城を歩こうと思って、これを読んで準備中。文禄慶長の役についての本は多々あるけれど、実際に現場に行けるよう案内が載っているのはこれくらい。しかも網羅率も高いです。一城でも行ってみたいなぁ。#倭城 https://t.co/PWcBFddFqV
06-18 16:46

若い人に、自衛隊をヒーローのように思わせたいんだと思います。それとアニメ漫画好きな人が自衛隊に応募させようと。硬いイメージを変えたいんでしょうね。 https://t.co/FaytmgZdQe
06-18 16:10

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「上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門」

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上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門」読みました。想像以上に「ゆるい」との評判を聞いていましたが、その通り。だけれど単に「ゆるい」のでなく、ニーズに応えた「ゆるさ」だと思いました。

ニーズとは、キリスト教や聖書に対して「信じる気はないけど知りたい」ニーズと「どうせなら楽に学びたい」ニーズ。これらのニーズを、「宣教しなければ意味がない」「知識だけで救いにつながらなくてはダメだ」「分かりやすく書こうとする過程で誤解が生じる」「ふざけた書き方では権威が損なわれる」と否定してきたのが、従来のキリスト教界だったかもしれません。

個人的に、教会ごとに工夫していた部分もあったでしょうけれど、ここまで大胆に、恐れもせずに(読むと実際は恐れながらもニーズに応じて書いているけど)SNSを通して発信してきたところはなかったのだと思います。実際にニーズがあるのにキリスト教界が応えられていなかったために、教会以外のところから、キリスト教知識の本が出されヒットすることがしばしばで、片腹痛く思っていました。

「教会から出すからと言って信仰的にしてもらわなくてもいい。だけどキリスト教界から出されたら、そこに盛り込めることがある」と思うから。例えば教会に通っていない人が、「私はあなたに教会に通ってほしくて言うのではないが、聖書は面白い」と言うのと、クリスチャンが言うのとでは、教会へのイメージが違ってきます。「面白そうだと思い、教会に行ってみたくなったら、気楽にどうぞ」も。

これを内側からやらなければならなかったのではないでしょうか。「恐れを知らず」と書きましたが、中の人(著者)たちを特に尊敬するのは、その大胆さ。聖書についてだなんて、余程権威ある人でないと語ることが許されない雰囲気があり、諸説あったり解釈もまちまちで、知っていればいるほど、恐れてしまって書けなくなるもの。

キリスト教界の内側にいるからこそ、そのハードルも高かったはず。だけどそこをやってのけたことで、後に追随する者たちも増えました。もしかしたら、キリスト教史上の一つの出来事として数えられる日が来るのではないかと思うほどです。今回でネタを出し切った感(旧約新約、12使徒まで網羅したので)がありますが、次回作も期待したいです。

「救いにつながらなくては意味がない」と言いながら、天国の鍵を取り上げてはいないかーー。ほんとは省みなければならないことがあるように思います。

https://www.amazon.co.jp/上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門-上馬キリスト教会/dp/4065135494

望月衣塑子氏の講演会

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望月衣塑子氏の講演会、こんなしゃべり方をする人だったんだという感じでした。質疑応答を含めて2時間の予定が、一人で話すこと2時間弱。それもよどみなく多様な話題を整理しつつ、のべつ幕無しに、所々に笑いのポイントを仕込みながら。

練馬で幼少期を過ごしたと言っていたけれど関西弁が混じっていて、落語家さんか、大阪のおもろいマダムかといった印象でした。ゼスチャーも大きくてエネルギッシュ。話が面白いだけでなく、分かりやすいという点も感心させられました。

内容的には官邸・菅官房長官とのバトル、メディアへの圧力、リベラルな言論人の降板、護衛艦の空母化、貿易赤字是正のための武器大人買い、南北問題、要塞化する宮古島、辺野古埋め立て、9条加憲など、複雑で深刻なテーマが多かったです。

でも重い雰囲気に陥らなかったのは、しっかり取材をしているという自信と、ジャーナリストとしての矜持、そこから一種の明るさが生まれているからではないかと感じました。

個別の問題よりも私にとって勉強になったのは、その明るさの方でした。ここ最近だけでも、どこかに行って感想を書けば「左派のプロパガンダに利用されている」と言われ、誰かの投稿をシェアしても(本来そこに問うべきことを)私に疑問をぶつけてくる、挙句の果てには「もっと腰を落ち着けて研究しなさい」と指図まで。

どんな権利があって私にそんな指示をしてくるのか理解ができませんが、概して言えるのは、私をとてもバカにしているということです。何も知らないとなめられているんでしょうね。でも私みたいな一個人がSNSで書いていることでもそんなに言われるのに、ジャーナリストはいかほどだろうと思います。

昨日の会場にも、ちょうど私の隣の席に、偏向的な不規則発言をする困った感じの人がいたのですが、こういう人たちに日々文句を言われたりするのは、どんなに神経をすり減らすことだろうと思いました。おまけに官邸からの報道に対する精神的圧力、萎縮効果を生む要請文書など。

東アジアやアフリカでは、政府を批判するとあからさまに逮捕され投獄されたりするけれど、日本ではそういう身体的な目に見える形ではなく、プレッシャーをかけ、萎縮させることで規制をしていくということがまかり通っているようです。

それでいて、望月記者が思ったことをツイッターでつぶやき、たくさんリツイートされると、官邸からの妨害や圧力が(一時的にでも)ピタッと止まるというから、やはり発信する力というのは剣ではないかと思いました。

望月記者と自分ではフィールドも社会的重要性も全く違うけれど、それでも何かパワーをもらえたような気がします。なめられても、理不尽な言いがかりを付けられても、あんまり落ち込まずに、自分がやろうと思うことをやっていこ(=゚ω゚)ノ



06/11のツイートまとめ

tenjounoao_yume

とっても面白そう(^o^) https://t.co/HiVQMwyBAp
06-11 20:48

人間関係と距離

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女性向けファッション誌にもいろんな記事が載っていて時に教えられます。美容院でパラパラ見ながら膝を打つことも。人間関係の専門家が述べていたのは「自分の期待と相手の言動が違う時にストレスになる」のだということ。人間関係がストレスにならないようにするためには、適切な距離を取るのがいいというアドバイスでした。

なるほどです。無意識のうちに相手に期待していることがあり、それとの齟齬で「何でこうなんだろう」と思い、それが積もってストレスを受けたり、苦手な人ができたりするんですね。知恵を持ってうまく距離を取れたら・・・いいんだけどなぁ。

望月衣塑子氏の講演会

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望月衣塑子氏の講演会、行けることになりました。かなりうれしい♪
すごい経歴の方なんですね。
ジェンダーについては、学生時代から折にふれ思うところがあったけれど、ちゃんと考えたかというと、うーん。
煎じて飲むための爪の垢もらってきます。


「考古学が語るシルクロード史」

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エドヴァルド・ルトヴェラゼ著 加藤九祚訳「考古学が語るシルクロード史 中央アジアの文明・国家・文化」(2011年、平凡社)読みました。

韓国人の景教研究者が「これが読めたらいいんだけど」と言っていたので、興味を持って。ウズベキスタンで長く遺跡の発掘調査をされていた加藤九祚氏の訳書だということもあり。

私はシルクロード全般というよりは、景教に関心があってその辺りを知りたくて読んだので、「世界宗教の極東への伝播~キリスト教」や 「ソグド人」「中央アジアの古代国家」などの箇所を特に精読。あまり良くない頭ではありますが、一応は把握できました。

その結果、どこにも「弓月(クンユエ)国」は出てきませんでした。これがなぜ重要かというと、景教に関心がある人は知っていると思いますが、景教博士こと佐伯好郎が、中央アジアにあったキリスト教国「弓月国」から来た巧満王が西暦199年に仲哀天皇を訪問したことから、日本にその年にキリスト教が伝来したと主張しているからです。

更に応神天皇の時代にも「弓月国」から二万人もの人が集団移住して帰化し、日本人となった、それが秦氏だと、佐伯好郎の流れを汲む人たちは今も主張しています。

この種の本はたくさん出されているので、古代日本に景教徒やユダヤ人が来ていたという話は割と多くの人が聞いたことがあるようです。そういった本を読むと大体が佐伯好郎の「弓月国」の話を最初に持ってきています。だから「弓月国は本当に存在したのか?」は結構大きな問題提起なのです。

「弓月」という名は、11世紀の中国の史書「資治通鑑(しじつがん」に出てくるのですが、これを一つの国だった、しかもキリスト教国だったとするのが、まず早計です。本書を詳らかに読んで、中央アジアの国家を調べてみましたが、「弓月国」という国はありませんでした。

似た名前では、部族国家としての「大月氏」「小月氏」はありましたけど、場所が数百キロ違います。佐伯好郎やその流れの人たちは、「弓月国」が中国新疆ウイグル自治区の伊寧にあったとか言うんですが、場所の主張も揺れていて、また発掘調査などでも裏付けられてはいません。

確かにグーグルマップで探してみると、アルマトゥイという街の近くに「弓月城大街」という表示があります。ここに「弓月国」があったのではないかと言う研究者もいます。

しかしこれが国だったという証拠はなく、城や街があったとしても、少なくとも数百年間実在した「国」と言えるか疑問で、それがキリスト教国だというのは全く根拠のない話です。

「大月氏」など中央アジアの国々にキリスト教が入っていった時期も、本書(考古学的に明らかになったこと)で確認すると大幅なズレがあります。キリスト教の伝播はそこまで早くはありません。

ペルシアに流入したのが2世紀、ペルシアから中央アジア、更に東へとキリスト教徒が移動していったのは5-6世紀のことでした。2世紀の時点で「弓月国」がキリスト教国いうのは、時代が数世紀も合わないことになります。

「古代日本に景教が伝わっていた!」「日本人にはユダヤ人のDNAが」というロマンを信じ、「それにはこういう証拠がある(神社の形は・・・等)」という話をする人は大体「弓月国」の話から始めています。だけれどそこから見直す必要があるわけです。

この手の話を信じている人はクリスチャンにも多いので、このように普通の、考古学的に証明されたことを言うと、ロマンを否定するなと言われることもあります。

でもそういった本を読んでらっしゃる方に、数十年もかけて発掘調査をし、最新の研究結果である本書を手に取ってもらいたいです。佐伯好郎の著作は今から70年以上も前に出された本で、当時は分からなかったことも今では明らかにされています。考古学的な証拠もあります。

歴史ミステリーや珍奇な説は、その後の(最新の)研究成果も反映せずに、営々とその主張のまま生き長らえる傾向があると思います。一つの見方だけでなく、他の方向からも見て偏らないようにするために、「・・・と言われている」などの言説に惑わされず、自分で調べてみる必要があると思いました。

もちろん私が知らなくて勘違いしていることもあると思うので、以下の書籍以外の資料で真実性のあるもの、あるいは見逃している事などがあればご教示ください。出来得る限りの事実を知りたいのであって、自分の考えに固執しているわけではありません。

佐伯好郎「支那基督教の研究」
第1巻「支那基督教の研究〈1〉唐宋時代の支那基督教」春秋社松柏館,1943年。
第2巻「支那基督教の研究〈2〉元時代の支那基督教」春秋社松柏館,1943年。
「景教碑文研究」待漏書院,1911年

久保有政著「古代日本にイスラエル人がやって来た」レムナント出版,1995年
ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年
久保有政、ケン・ジョセフ著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史〈2〉―仏教・景教篇」徳間書店,2000年
ケン・ジョセフ Sr.&Jr.著「隠された十字架の国・日本―逆説の古代史」徳間書店,2000年
久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年

その他、主にこれらを引用した出版物、インターネット上の言説。


06/04のツイートまとめ

tenjounoao_yume

殉教者を思い祈りささげる 登米・米川で慰霊祭 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS https://t.co/ZoKYI8DA7K
06-04 17:45

本日の四谷。イグナチオ教会は献堂20周年♪ https://t.co/e7xu3vx9Tg
06-04 15:11

06/02のツイートまとめ

tenjounoao_yume

https://t.co/ldxC8yYHOF
06-02 19:57

久米小百合 自叙伝「ふたりの異邦人」

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子供の頃テレビで「異邦人」を歌う姿を見て、「なんてキレイなおねーさんだろう」と思っていた久保田早紀さんが、今はゴスペル歌手として活躍していることを知ったのはいつだったろう。

久保田早紀さんと現在の久米小百合さん、その2人のブランクが、自叙伝「ふたりの異邦人」を読んで埋まりました。あのエキゾチックなメロディとキリスト教伝道者としての歩みがつながって、やっと腑に落ちました。今もキレイなおねーさんであることが、ちょっとズルいなと思ったけれど。

アイドル本のような感じかと思ったので、最初あまり期待せずにページを開いたのですが、プロローグの文章の巧さに引き込まれ結局全部読むことに。

少し引用すると・・・

「ずっと追いかけてきたのは、本当は言葉でも音でもうまく伝えられないような世界、時代を超えても変わらない静かで美しいもの、旅先で見上げたステンドグラスの青い光のようなものかもしれない。柔らかな陽射しと色ガラスがなければ届かない光、手で触れたりポケットに詰め込んだりできないもの、近づいても影が映るだけで光の粒は消えてしまう。だからその光源を見たくて歩を進めてきたのか。」

とあり、間にいくつかの文章をはさんで、

「最近やっと気付いたことは、遠い国の絵はがきのようなロマンチックな街でなくても、この場所が、この通りで見上げるいつもの空が、私の町のステンドグラスなんだってことだ。」

と続き、「異邦人」の独特な世界観を彷彿とさせる言葉が、衒いもなく、力むこともなく紡がれていて実に見事(本当の佳さは抜き書きでは伝えられません^^;)。この人は、詩を書いても一流だったんだなと思いました。

自叙伝の中身に入ると、プロローグとは打って変わり、今度はテンポよく話が進んで、さばさばとした性格がうかがえました。少し物足りなかったのは、さばさば故に、「ここがもっと知りたい」というところが端折られていることでしょうか。

夫となる久米大作さんと出会い婚約したけれど、大作さんはクリスチャンではない。生涯を共にするのにそれで大丈夫なんだろうかと不安がよぎる・・・というところで章が変わり、次のページにいくと大作さんが洗礼を受けている。え、そこのところもうちょっと詳しく!と、思わず叫びそうになりました。

これだけの文才があり、各地でご活躍なのだから、これからまた本を出されたりして、そこで語られるのかもしれませんね。次も読まなくちゃ。

「あのキレイなおねーさんが、今またこんなに素敵に。。」と、これからもまたうっとりさせてくれる気がします。往年のファンにも、今のファンにも♪


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由愛(ゆめ)

Author:由愛(ゆめ)
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