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キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

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崔官「文学に刻まれた戦争ー文禄・慶長の役」と松田毅一「秀吉と文禄の役~フロイス『日本史』より」

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崔官「文学に刻まれた戦争ー文禄・慶長の役」と松田毅一「秀吉と文禄の役~フロイス『日本史』より」読みました。文禄・慶長の役に関する本は数あれど、この二つは外国人の眼で見、論じたという点で貴重。

日本では文禄・慶長の役(朝鮮出兵、朝鮮役)と呼ばれるこの戦いは、韓国では壬辰倭乱(イムジンウェラン)、北朝鮮では壬辰祖国戦争、中国では万暦朝鮮役などと呼ばれています。その呼称が様々であるのは、それぞれの地域での歴史認識の違いを象徴しているようで考えさせられもの。

呼称を統一する必要はないとしても、どのような事だったのかの検証は進めていかなければなりません。結果として、領土的な変化は一切起こらず、講和も無しに終ったこの戦争は、日明鮮三国の情勢には大きな変化をもたらしました。
のべ30万人を上回る兵士を送り込んだ日本は、そのうちの10万人を失い、首都を始め全国が焦土となった朝鮮は言うまでもないですが、のべ20万もの兵と物資を投入した明も国力の消耗著しく、勃興しつつあった満州族の圧力を退けられなくなり、ついには清へと取って代わりました。

崔氏は、朝鮮側の資料を日本のものと対比し、壬辰倭乱を象徴する晋州城攻防戦を通して、そこに登場する人物がその後の両国の文学にどのように描かれているかを論考しています。私は晋州牧使(もくさ)が日本の歌舞伎に「もくそ官」として出てくることを初めて知りました。

究極の国際交流である戦争ですが、交流のあるところに影響が残るのは確か。現在まで続く深いひびを生んだ背景と、そこから生まれたものを知ることは、互いの国へのイメージがどのように形成され変容したかを知る大きな手掛かりになると感じました。

一方松田毅一の著作は、フロイスの「日本史」から文禄・慶長の役に関する記述を抜き書きし、詳細な注釈を加えたもの。膨大な「日本史」のいろんな章に飛び飛びに書いてあるので、抜き書きでも十分有り難いですし、注釈は他のフロイス「日本史」よりも詳しいのでとても役立ちます。

文禄・慶長の役に関する日本側の資料と言えば、黒田家、伊達家など諸家に残る文書とその麾下にあった武将の覚書がメインなのですが、フロイスはそれとは違う小西行長サイドからの情報を元に書かれていることが大きな特徴。小西家は滅び、その文書は残されていませんが、この戦いでは加藤清正と並んで主将を務めていたので、精密に当時の情勢を把握し記録しています。

フロイスは日本イエズス会上長の書記であったので、各地の宣教師から届く報告を全て閲覧できる立場にあり、日本人キリシタンの中には秀吉の側近も幾人かいました。また小西行長ら多数の信徒がこの戦いに従軍していたので、豊富に資料を手に入れることができたのです。

「日本史」全般に言えることですが、フロイスの精細な記録は正確であり、信憑性が高いです。彼が実際に従軍した将兵から軍の動静などの情報収集に励んだことは察するに難くないと思います。キリシタンを賛美する傾向があり、粉飾と誇張が見られる部分は割引かないといけませんが・・・。

折しも今日は8月15日。日本では終戦記念日ですが、韓国では日本から解放されたことを記念する光復節が祝われます。430年前に起こったこの一連の戦いを、日本側からとは違う視点から見ることで互いへの理解が深まることを願ってやみません。

https://www.amazon.co.jp/文禄・慶長の役〔壬辰・丁酉倭乱〕文学に刻まれた戦争-講談社選書メチエ-崔-官/dp/4062580225

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08/13のツイートまとめ

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彼女が紡ぎ出す文章も「びっくりするほど簡単で、びっくりするほどおいしいので、びっくりしますよ。(文章力ゼロ)」とか、面白くて参考になります。この暑さで火を使う料理を避けたくなっていたので渡りに船。何品かはリピして我が家の定番になりつつあります♡ https://t.co/kFUx1WTUFn
08-13 11:08

Twitterで料理レシピを公開しているsyunkonさんの本、書店でパラパラ見ていたらとても必要に思えてきて、30分迷ったけど結局お買い上げ。たった140字のTwitter文字制限内で書かれたレシピは超が付くほどシンプルで、 https://t.co/aa61vtPKGM
08-13 11:08

宮崎県二日目の旅行記「蒼き切支丹回廊 9」ができました☆

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宮崎県二日目の旅行記「蒼き切支丹回廊 9」ができました☆
この日は伊東マンショの幼名が確認できる唯一の史料を見て、都於郡城、石井十次記念館、根白坂の古戦場、木城跡をめぐりました。主に西都市を回ったのですが、こちらの中学校では校歌にもマンショが歌われているのだとか。マンショと宗麟で頭一杯の一日でした。
今回はシンプルに書きましたので、よろしかったら~♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
http://content.tenjounoao.com/19kyu9.html
スマホ版は⇒http://content.tenjounoao.com/sp1/19kyu9.html



「日本組合基督教会の制度的・思想的『源流』をさぐる」

前回の横浜プロテスタント史研究会(通称:横プロ)は、坂井悠佳氏が「日本組合基督教会の制度的・思想的『源流』をさぐる」を発表。

話についていくのがやっとでした(いつもです;;)が、今回は特に自分で調べたことのない分野だったので、「ここで学ばなければ、自分では一生勉強しないかもしれない」と思って(で、いいのか?)集中して聞きました。

組合教会とは、主に同志社を中心とした会衆派のことで、横プロの開かれている指路教会は長老派なので、「敢えてここで?」という感じですが、発表者の研究のテーマなんでしょうね。

日本に明治期にもたらされたプロテスタント教派は、会衆派(組合教会)、長老派、メソジストの大きく三つといわれています。このうち組合教会は、米国ミッションとの関係を切って日本的キリスト教を志向したので、ナショナリズムと親和性が高いとされています。

しかし宣教師が来て伝えたことがベースになったことは確かなので、どのようなキリスト教が伝えられたのかが大切です。宣教師が伝えたキリスト教とは一体どんなものだったのか、それを探るために、宣教師たちの神学思想の背景を振り返ってみると、19世紀前半にアメリカで広く受け入れられたニューイングランド神学(ニュースクール)が浮かび上がってきます。

ニューイングランド神学は、伝統的なキリスト教から解放された個人の信仰復興を要諦とするもので、神を「道徳的統治者」、人間をその「執行者」と位置付けます。罪については「正しいことをしようとする意志はあるが出来ない」ことだと定義。

そのため原罪という言葉は使われなくなり、道徳から外れることが罪であるという捉え方をします。では救済をどう理解するのか? 悔い改めと信仰による救済が説かれます。

(・・・この考え方はちょっとびっくりですね。ニューイングランド神学を受容すると、イエス・キリストの十字架の意味も違ってくることになります)

さてアメリカでは19世紀前半リバイバルが起こっていたのですが、ニューイングランド神学をめぐって各教派の中に対立・分裂が引き起こされました。長老派は分裂し、会衆派はニューイングランド神学を受容。それが19世紀後半になって、日本に入ってきたのです。

だから教会合同運動も挫折するしかありません。アメリカン・ボード(組合教会の母体となった超教派の宣教団体)の宣教師の大半はニューイングランド神学の教育を受けていました。

例を挙げるなら、新島襄の師匠E.A.パーク(ニューイングランド神学の代表的神学者、アンドーバー神学校で教鞭をとる)は「人間の罪の本質は、人間が悪を選択し、善を選択できないという意志的な選択における道徳行為にある」と言っていて、新島襄の説教にはその影響が強く見受けられます。

近代日本においてキリスト教は、組合教会の場合、道徳宗教として受容されたということが分かります。そこから生活倫理の改善がキリスト教的活動として展開されていくことになり、その模範的生活が「敬虔な」キリスト教徒というイメージを生み出しました。

しかし日本において、ニューイングランド神学のいう「道徳」の意味が狭められ、生活上のこととなったのが問題です。安息日を守り、禁酒・禁煙を励行し、生活規範に悖る信徒が除名されることまで起こりました。

(よく日本のキリスト教徒は贖罪意識が強いと言われますが、こういうことを聞いていたら贖罪が何か分からなくなりますよね。日本人がキリスト教を受容する時に変質させてしまったとか言われたりしますが、それが正しい話なのか。蒔かれた土壌云々の前に、種がどういうものだったのか知る必要があるし、もし変容したんだとしても、何が伝えられたかが正確に分からないと、変容過程も理解できないのだと、聞いていて思いました)

その後、キリスト教の道徳宗教としての歩みが国家に結びつくことで新たな転換点を迎えます。19世紀末、国粋主義が台頭してくる中で、キリスト教と国粋主義は矛盾しないと主張し始められました。道徳宗教としてのキリスト教は、道徳的統治をする天皇制国家に協力するものだという考えが広がったのです。

同志社では日清戦争中アメリカン・ボードからの資金を得られなくなり、学生も集まらなくなったため、校是から「キリスト教主義を掲げ」という文言を削り、教育勅語を受け入れました。

こういったことは、キリスト教を道徳に特化したことによる必然的帰結ではないかと発表者は述べていました。そんな情勢の中でも柏木義円は、国家による宗教利用を批判していて、そういう人もいたことはいたのですが。

発表を聞いて私の脳裏に浮かんだのは、今の日本との類似性です。神の支配を道徳統治とした神学の「道徳」の部分を、人間的な理解で狭めて適用していった結果、国家とキリスト教が結びつき、天皇制国家に協力した過去があったわけですが、それと似たようなことが今の日本でも一部で起こっていないかなと感じるのです。

神学がしっかりしてないと、教会が骨抜きにされてしまうということですね。またキリスト教史学も目を覚ましていないとダメだという。神学者さんたちに頑張ってもらいたいです(自分もしっかりしてないとですね、ハイ)

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終わってからは、夏休み前ラストだということで懇親会。隣の席の男性が「最近、『正ちゃんへ』というメールをもらって・・・」と話していたので、どこの正ちゃんだろうと思っていたら、キリスト教史学会の理事をされていた原島正先生でした。研究者の顔って、あまり知らないものですよね...^_^;

まだまだ何かやらかしそうですが、少しずつ会には馴染んできました。他の参加者さんたちのように、私も極めていけるものがあるといいなと思う今日この頃です☆



08/02のツイートまとめ

tenjounoao_yume

ケーキが見つめるんですけど。 https://t.co/IOktazMdJM
08-02 05:49

赤神諒最新作「妙麟」

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赤神諒の最新作「妙麟」、堪能しました。島津との攻防で衰退の道を転げ落ちていく大友家中で、最後の煌めきを放ったともいえるのが本作の主人公 吉岡妙林尼。女性でありながら鶴崎城を守って島津勢を16度も撃退したという武勇伝は知られているところですが、肝心の妙林尼については本名も生没年もわかっていません。

「今回は妙林尼なんだー」と、まずはうれしく思いました。戦国時代のもので女性が主人公なんてことが珍しいので。噂ではキリシタンも関わってくるというので尚更。

しかし、そんな限定的な情報を元にどんな風に作品を仕上げるんだろうという疑問が浮かびました。また以前テレビの歴史番組で、妙林尼と侍女たちが「女の武器で男たちを篭絡し・・・」と、セクシー路線の再現ドラマをしていたので、その辺を作者はどう描いてしまうんだろうということが気がかりで、最後の方は読むのに勇気が要りました。

ネタバレになるので言えませんが、そんな杞憂は吹き飛ばされて、読後感はいつもながら爽やかです(←これ重要)。少ない情報をどう料理するかという点も、見事にクリアされていたと思います。クリアどころか、クリティカルヒットですね。

歴史上の人物であることで必然的に与えられる条件は、その範囲内に収めなければならないという縛りでもあるのですが、そういった縛りを逆に効果的に使って、かつ成功するのがクリティカルヒット。

今回の場合なら、妙林尼に関する情報は少ないから自由に物語を作ることができるけれど、それでもやったことは知られているので、そこにちゃんと着地しなければなりません。その際に、高い自由度で物語は跳躍しておきながら、史実に対して説得力ある着地を見せてこそ評価を受けるわけです。

本作は、キリシタンまで巻き込んで、恋愛も劇的に展開させながら、それでいて最終的には説得力ある帰結として、ちゃんと史実につながってくるので、それまでに描かれた物語が、単に面白がらせる話で終わっていません。歴史上の様々な事柄も、ただの背景でなく、必然性のある舞台設定だったと納得がいきます。

未読の方には理解しにくいことを書いているかもしれませんが、私としては「これが歴史小説の醍醐味なんだな」という悟りみたいなものが感じられました。想像力で高く跳躍して、ちゃんと史実に帰結することで生み出される面白味、縛りがあるからもっと感じられる愉悦は、歴史小説の美味しさを左右するスパイスですね。

さて「泣ける」と言われる赤神作品ですが、今回は戦国ラブストーリーと銘打たれていて、ラブストーリーに感動しない私には、泣けない気が満々(?)でした。でも幾度か泣ける場面がありました。親子愛のところですね。自分にこんな感情的な痛点があったんだと気付きました。本を読みながら、不思議と自分のことも知ったりするんですね。

キリシタンに関しては、以前からよく理解して書いてくださっていると思っていました。今回もカブラルとアルメイダの違いを把握して、エステバン騒動まで扱っていて、下手な理解で書いたら滅茶苦茶になるところが一定の方向でまとまっています。物事の見方は複数あるけれど、話の内容上矛盾していなく、必然性のある出し方で、こういう風に描いたんだなと思いました。

あと、脇筋ながらほぼほぼヒーローのキリシタン武将が出てくるのですが、「人への愛」と「神への愛」で前者が自分にとっては大事なのだと言っています。これを表面的に見ると、恋愛至上主義なんですが、キリシタンと絡んでいるからか、少し考えさせられるものがありました。

フランスの作家ル・フォールが「人への愛がずっと深くなると、それを超えたところに神への愛がある」という内容の小説を書いていて、私はこの小説が昔から好きなんですね。遠藤周作もフランス留学時代この作家の本を読んでばかりいたと言っています。

こういった神学的・思想的なものと親和性が高いことを、読み手が意識する必要はないのだろうし、著者自身も意識していないと思うのだけれど、赤神作品は(たぶんご自分でも知らないうちに)その根幹に神学的に深いものを包含しているんではないかと感じました。

余談ですが、今回初めてkindleで本を読んでみて、読みやすさにびっくりでした。しおりもメモも検索もし放題。猛暑を乗り切る読書に、強い味方を得た気分です♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪


07/30のツイートまとめ

tenjounoao_yume

東日本最古の木造教会建築だと思っていました。 https://t.co/q7cVXWRZOQ
07-30 14:56

宮崎県の旅行記「蒼き切支丹回廊 8」ができました☆

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宮崎県の旅行記「蒼き切支丹回廊 8」ができました☆
キリシタンの世界で宮崎と言えば伊東マンショ
伊東家墓所を回り、もしかしたらマンショの墓かもしれない墓碑を見てまいりました。それから初代藩主がキリシタンで、城内に教会があったであろう飫肥城跡など。

この日も地元で一番詳しい方々にたくさん案内していただきました。感謝をこめて~♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

http://content.tenjounoao.com/19kyu8.html
スマホ版は⇒http://content.tenjounoao.com/sp1/19kyu8.html


07/23のツイートまとめ

tenjounoao_yume

一日PCに向かってたのに、書きかけの旅行記進まずに涙。案内してもらった人への忖度で、書きたいように書けず。職業ライターさんとかは、もっと縛りがあるんだろうな。 https://t.co/OnXosCtal8
07-23 21:27

古河柳生の切支丹集落を裏付ける『古河発正御所日記』発見について

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古河柳生の切支丹集落」を裏付ける『古河発正御所日記』についてですが、引用中の古文書を書き起こしました。↓

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海老沢有道「ゑぴすとら」p431より

古河発正御所日記』

前号に「古河柳生の切支丹集落」の中に『古河発正御所日記』発見について一言したが、その後、古河在住の川島恂二氏から、キリシタン関係記載葉の写真を恵送に与った。氏はかねてから(中略。氏の本の)御恵贈を賜った。それに掲載された、いわゆるマリア観音・クルス墓碑類については、実地踏査を経ていない者として、発言を控えさせて戴く。

(中略)題名の言辞について解説に苦しむし、藩主の年代が異なっていることも一旦措くとして、毎日新聞紙上や川島氏が著書に載せているのと実際の文言とは相違があるので次に掲げる。

「一、九万石  永井信濃守尚政
内弐万ハ自分領す
寛永七年末七月十八日廿日迄大水。此時川辺人死。三ツ一ツ残。下宮村ニテ四百人絶死。切支丹下宮村ニ集、新田を立申候。顕金堀谷ニて九拾五人、はり付ニ掛り、御けだ小袖ニて候得共、淀江御国替御越被成候。明暦三年正月十八日昼夜六日、江戸中大火、御城諸大名、町中死人十万人ニ及。此時無縁寺立、廻向院ト云。」

まさに、これほど支離滅裂な文も珍しいというべきであるが、キリシタン関係文章は一応「切支丹下宮村に集め、新田を立て申し候。金堀谷にて九拾五人顕われ、はり付に掛り」と訓むとしても、何とも云えぬ文章と言わざるを得ない。切支丹露見というようには云うものの、「顕」が「金堀谷」の上にあることや、「はり付に掛り」で(はり付に掛け候」または「はり付に掛る」とは決して読めない)、いきなり文意不明の「御はだ小袖云々」となるのである。(中略)その後の江戸の明暦の大火との突飛な記事が、何故そこに記されなければならないのか理解に苦しむ。
(中略)
いずれにしても、こうした支離滅裂な記録は、史料として信憑性を疑わざるを得ない。従って史家として、私はこれによってキリシタン殉教を論ずることは傍証の見出されぬ限り差し控えざるを得ないのである。
(1975、Ⅺ、10)


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古河のキリシタンについては、この古文書を元に95人が金堀谷で殉教したと考えられていて、私も行ったことがあります。カトリック古河教会では毎年殉教者顕彰ミサも行われていて。しかし海老沢氏が言っているとおり文章がおかしいですね。

関東に大勢の「かくれキリシタン」がいたという言説は、郷土史家によって次々と「発見」される「キリシタン遺物」「キリシタン墓碑(石殿)」と共に問題含みだと思います。郷土史家と学的研究の専門家がタッグを組んで、実証的な研究がなされることを願ってやみません。



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Author:由愛(ゆめ)
キリシタンのあしあとを求めて旅するサイト『天上の青』の管理人をしています☆

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