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キリシタンのあしあとを求めて・・・♪

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石川明人「キリスト教と戦争~「愛と平和」を説きつつ戦う論理」

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石川明人「キリスト教戦争~「愛と平和」を説きつつ戦う論理」読みました。「なぜキリスト教徒は愛と平和を口にするのに戦争をするのだろうか?」という問いに納得のいく返答がないと、まえがきに書いてあるのを見て、読まずにいられなくなり。

続けてこうも書いてありました。これは「愛と平和を祈ること」と「戦争をすること」とは両立しないという思い込みがあるからこその疑問だが、そもそもこの両者は必ずしも矛盾するとは考えられてこなかった、と。心わしづかみです。反戦的な書ならあるけれど、キリスト教戦争ということを、ここまであからさまに、かつ学術的に論じてみようという試みが、かつてあったかどうか。

従軍チャプレンはエノラ・ゲイが出撃する直前に乗組員たちを前にしてお祈りして送り出しているし、カトリックの歴史では教皇自身が剣を持って戦地へ赴いた十字軍があります。農民戦争のとき、ルターは「うち殺し、絞め殺しなさい」と述べ、ツヴィングリは実際に戦場に赴き戦いました。「アウグスブルク信仰告白」でも「ウエストミンスター信仰告白」でも「正しい戦争」「合法的な戦争」があると言っている訳で、これらから見ると、キリスト教と戦争は決して相反するものではないことが分かります。

テロリストを「殉教者」とすることは殉教の概念を歪曲しているとされていますが、確かにキリスト教だから戦争をしない、宗教だから平和だけを追求するに決まっているというのは歴史的に見ると、勘違いであり、その誤解は甚だしいと言わざるを得ません。

ただしこの問題を深く探究したユルゲンスマイヤーによると、「宗教はそれ自体が戦争や暴力の原因とは言い難い。しかし宗教は暴力を正当化する際の道徳観の基盤として機能する」ということ。最終的な結論として筆者が挙げているのは、田川建三の言葉でした。「キリスト教は愛の宗教ですというのは建前に過ぎない・・・(中略)しかしそれでもこういう看板を掲げている限り、なるべく忠実にそれを実現しようとする人たちが常にキリスト教内部に出現するものだ。そしてそれがキリスト教を支える力となってきた」。

この結論まで読まないと安心して眠れないような本でした。どうなるんだろう?と心配になってしまって。とりあえず一応の納得がいく、気持ち的にも落ち着く結論がもたらされて良かったです。だけれど思ったよりキリスト教と戦争とは親和性が高いことを知って、物事の見方がこれから変わるような気がします。世界で今も起こる宗教を理由とした暴力、それらがキリスト教とは離れた世界のように思っていたのは、完全に私の能天気な誤解だったと知り。

世界で起こっていることを知るのには必要な機会だったのだろうと思いました。物の見方、もっと深くなりたいなと思います☆


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04/25のツイートまとめ

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今日の主役はかんざし╰(✿´⌣`✿)╯のつもり♡ https://t.co/9v4n1chvAO
04-25 14:11

竹下節子「ユダ 烙印された負の符号の心性史」

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竹下節子ユダ 烙印された負の符号の心性史」読みました。すごいですね、この著者。どんだけ頭良くて鋭いんだと思いました。知識の量も半端ないし。キリスト教に関するいろんな本を書いていますが、今回のテーマはユダ

太宰治や遠藤周作の作品を挙げて、日本文学に顔を出すユダ像から解き起こし、ヨーロッパでも千年間熟成されてきたユダ像が変化してきていたことを指摘。そこから旧約聖書とイエスキリストの預言成就、グノーシスでのユダの捉え方、カルヴァン、ガイ・フォークス、ヴェニスの商人、シュタイナーの聖書理解と続き、ナチスの「すべてのユダヤ人はユダである」というところまで引っ張ってきて、もう一度聖書に戻ってピラトのシーンを振り返り、ユダヤ人自業自得説へとつなげています。

世界と時代をぐるっとめぐって、ユダという存在に人々がどんな意味付けをして扱ってきたかを辿っています。つまり「ユダをめぐる旅」みたいな本。衒学的で、若干嫌味に感じたのですが、話の筋はちゃんと元に戻ってくるので、「私の知らないことをあれこれ網羅してくれてありがとー」と、最終的には思いました。

しかし聖書を研究する学者というのは、私が想像もしない解釈の仕方をするのだなと驚きました。キリストが十字架に架けられて死んでしまうという不都合なことを、預言の成就となるように、旧約聖書に予め予型となる物語を付け加えるようにした、だなんて発想、普通に聖書を読んで信じている私みたいな者には思いつきもしません。難儀なことを考えるものだなと思うくらいです。

だけれど学者とあらば、そんなことも考え、新旧約聖書の成り立ちを裏側からも見なければならないのでしょう。そしてそのようにキリスト像が確立されていくのと同時に、裏切り者であるユダ像が成立したのだという解釈は、ぼんやり聖書を読んでる私でも、「なるほどな」と頷けるものだったりするのです。ユダの話をしていることではありますが、読む者にとっては、聖書の読み方、見方に変化を与えるものでもありますね。信仰的な影響はいいか悪いか分かりませんが。

さて、古今東西こんなに話を広げた著者が最後に何を言っているかというと、「いつどこで誰が誰のことを『ユダ』と呼ぶのかを注意深く聞き取ることで、社会の深層に流れる何かを読み取れる」ということ。すごい深い結論です。竹下節子というこの知性、頭脳、知識、見識に脱帽と思いました。

いつの時代も裏切り者、断罪されるべき汚い奴に付けて来た「ユダ」という呼び名を、誰が誰に対して用いているのか注意せよという、現代の話に思いっきり直結してくるとは。最後に至るまでまったく予想せずに読んでました。だけどそうですね、今も誰かが誰かを「ユダ」と呼ぶ。政治の世界でも、国際社会でも。その使い方を見て、時代の向かっている先と流れを読み取ることは、本当に大切。注意しなければいけないことですね・・・。



04/24のツイートまとめ

tenjounoao_yume

〝原則より結果重んじ〟教育に専心 古屋安雄氏の葬儀に約400人 2018年4月23日 | キリスト新聞社ホームページ https://t.co/untZlpT4MZ
04-24 01:03

森禮子「神父ド・ロの冒険」

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森禮子「神父ド・ロの冒険」読みました。いい本だわとしみじみしながら。
まだ日本が禁教令下だった頃に来日し、長崎の出津などで活躍したド・ロ神父の評伝で、芥川賞作家の森禮子氏の過不足なくユーモア漂う文章でつづられています。森禮子氏の文章の良さは、下手に感情的に書かれていないので、心にすっと入ってくるところ。生き方自体が感動的なド・ロ神父のことを、あまりに感情移入した書きっぷりをされると、かえって妙な感じになってしまうのですが、それがないのが有り難いです。ド・ロ神父のことは知っていて、他の本でも読んだことがありますが、端的にまとめられ、ストーリーがよく整理されているので、こちらの本は読みやすいと思いました。

さてド・ロ神父がした「冒険」とは何かということですが、題名にしただけあって、著者が一番言いたい肝だと思うので、詳細に述べるのは控えようと思います(ネタバレになりますから)。だけど様々な苦労と惜しみない努力を、「冒険」と捉えることで一種の明るさが生まれ、それがフランス北部、ノルマンディーから来たド・ロ神父の風貌と重なって、神父の心の風景まで見えてくるように感じました。
苦労話だけれど、やりがいはもちろん、楽しくもあり、未来まで照らすような光が放たれているのが、ド・ロ神父の物語なのだと思います。
フランスの裕福な貴族の家に生まれ、愛ある家庭に育ち、殉教の決心をして日本へ来たド・ロ神父は、長崎のキリシタンの里に来て、民の貧しさとそこから抜け出すことのできない現状を見て、私財を投じ、自身の持てる全ての技術と才能を注いで、人々の暮らしと信仰とに人生を捧げました。多大なる財産をくれた家族の元へ、故郷へ一度も戻ることなくひたすら日本のために尽くした人がいたことを、もっと知らなければと思います。
既にある程度知っているつもりでいましたが、やはりページをくくれば知らないことや初めてのエピソードもあり、こういう本を栄養のように時々摂るべきだと思いました。知識だけでないものを吸収する機会を、ちゃんと掴んでいかなければと。信仰的にも励まされ、自分のことを自然に顧みるようになりました。こんなんじゃダメだよ、こんな汚れた考え方は捨てるべきだよと、美しい生き方を見ながら、自ずから悔い改められるようになったりして。

時を超えて、出会った人に感化を残せる人って偉大ですね。私はド・ロ神父に会ったこともなく、ドロさまそうめんも食べたことないですが、たぶん信仰的な影響とよい感化を受けたと思います。感謝♪


04/23のツイートまとめ

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特集のバッハの聖書と関係ないですが、4/21号の論壇2.0が面白かったです。政治やニュース報道でよく聞いていた「忖度」という言葉を出して、「神を畏れること、つまり神のみ旨を忖度することこそが今、求められているのではないだろうか」と論じていて。短くても、こういうコラムが読みたいなと☆ https://t.co/fH3A4r4PPu
04-23 18:41

須賀敦子「霧のむこうに住みたい」

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須賀敦子「霧のむこうに住みたい」読みました。この人の本は、寝る前に読むと、心が鎮静化して寝つきが良いように思います。
イタリアで暮らし、そこの人々と交流し、ヴェネツィアやアッシジなどに出掛けて、その中で思ったことを綴っているエッセイなんですが、今どきのキラキラした感じや旅行の浮き立つ雰囲気はなく、しっとりと落ち着いています。

仄暗い部屋に一条の光が差しているような映像が、頭の中に浮かびます。どのエッセイがそうだ、というのでなく、全体から受けるイメージが。
それが、生であり死でもあるように思うのは、考えすぎでしょうか。先日須賀敦子さんのミニ展示で見たメモ書き「死を生の対極と捉えるのはでなく、その一部として考える」という言葉が、須賀敦子さん自身の気持ちにとてもぴったりくるものだったのではないかと思いました。

出てくる人たちも、生きてるから登場してくる訳ですが、今ではもういない人のように思えるから不思議です。須賀敦子さん自身も、今はここにいるけど、いずれいなくなる自分という存在を分かっていて書いているような。死が予定された生は、とどのつまり死と不可分のもの。そんな刹那なる生の、平凡な人生の中で、人が輝きを放つ、ほんの一瞬を捕えて文章にしたみたいだと感じました。

死とつながっていることを知っているからこそ、私欲や我執を抜けた境地に至ることができ、そんな低奏音が文章のバックに流れているから、読んでいて気分が落ち着き、導眠剤にまでなるのかと。寝ることも一つの死ですもんね。一日の終わり、人生の終わり・・・。決して落ち込んで自殺とか考えてしまうような、そういうことを言うのではなく、心の行き着く先、人生の行き着く所が見え、静かに心が沈着する感じです。

就寝前の大人におススメです^^



04/21のツイートまとめ

tenjounoao_yume

「習慣が人を作る。体も心も」by日野原重明さん https://t.co/wdP2gJLiNu
04-21 11:53

日野原重明「いくつになっても、今日がいちばん新しい日」

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日野原重明「いくつになっても、今日がいちばん新しい日」読みました。題名からして、きっと人生訓のようなことが書いてあるんだろうなと思っていましたが、違いました。

健康診断の数値は、高齢者は若い人と一律に判断するのでなく、運動量や体の変化に応じて判断すべきだとか、老眼になったら足元を気を付けるようにとか、お医者さんらしいアドバイスが満載でした。

もちろん人生訓というか、老いにはこう備えよ、老いてからはこういう習慣を持てという、心まで関係することなども述べられています。健康管理は老いる前、できれば若いときから習慣にすべきだとか。

「習慣が人生を作る」という言葉は、けだし名言ですね。希望的に思ったのは、年を取れば誰でも見たり聞いたりする感覚の脳細胞への記銘力(きめいりょく。打ち込みのこと)は落ちるけれど、自分の専門のことや関心あることは記銘力を保つことができるという話。

また、判断力や統合力は衰えないようにすることができるので、知恵(ウィズダム)を持って若い人への指導を行うこともできるのだとか。私では、今の段階でも人へアドバイスなどできませんが、人間の作りがそうなっているというのは聞いてうれしい話です。

ちょっと読むのが早かったかなと思いましたが、中年期から良い習慣を身に着けることで、生活習慣病などの病気を防ぎ、活力をもった生活をしていくことができるというので、実践していけたらと思います。日野原さんはこうも言っています。「習慣とは行動だ」と。

昨年惜しくも亡くなったけれど、先に生きて書き置いておいてくださったので、しっかり受け取らないとなと思います(o^^o)


04/20のツイートまとめ

tenjounoao_yume

ピューリたんの最後の笑顔がとっても可愛かったです^^「隠れキリシたん」も2回ほど出てきてうれしかったし。これからもまだ学生生活続くんですね。頑張ってください╰(✿´⌣`✿)╯♡ https://t.co/YjRCo3xBsR
04-20 20:44

イエス・キリストの姿を3Dプリンターで復元。トリノの聖骸布から導き出された身長178センチ、等身大のキリスト像|BIGLOBEニュース https://t.co/bny64A3Vjl
04-20 15:16

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Author:由愛(ゆめ)
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